明治末年以降逼塞させられていた社会運動が、大正九年(一九二〇)前後から急激に高揚するのに対し、新たな治安法案の模索や取締機構=特高警察の整備などの治安体制の再編が図られていった。北海道の場合、農民運動への警戒や海外からの「過激思想」流入防止のために、全国的にみても早い大正十二年五月の段階で特高課が設置され、十五年五月には外事課も設置された。各警察署に社会運動専任の「高等係」が設置されるのは十四年頃からとみられ、同年末、札幌署には巡査部長と巡査各二人の「高等」専務の定員が置かれている(北海道庁統計書、さらに「高等主任」〔警部補〕の配置もあったと推測)。また、主要警察署には「外事係」も置かれるようになり、昭和二年(一九二七)九月一日現在の「全道警察署外事警察事務担任者一覧表」によれば、札幌署の三人はそれぞれ「ソ連邦人旧露欧米其他」「支那人来往視察其他」「海外渡航旅行事務」となっている。
こうした「高等係」「外事係」は、道庁警察部特高課・外事課の指揮を受け(特高課・外事課は中央の内務省警保局保安課の指揮を受ける)、その活動の多くは共産主義者・無政府主義者という「特別要視察人」「要視察朝鮮人」「労働要視察人」「要視察・要注意外国人」などの言動の視察・尾行、労働組合・農民組合や思想団体の動静視察に向けられ、それらの結果は詳細な名簿に記載されるほか、各種の月報・半年報・年報として特高課・外事課に報告される。たとえば、昭和三年一月十九日付で道警察部長から各警察署長に出された「昭和二年度外事警察状況調査ノ件」は、「在留外国人ノ概況」「不穏印刷物ノ潜入状況」「要注意要視察関係外国人ノ言動」など一一項目におよぶ調査を指示している。