特高警察の拡充について、『小樽新聞』は「函館小樽札幌のやうな思想問題の多い大都市の警察署には従来の高等から特別高等を独立さして警部なり警部補なりの主任を置いてその充実を計りたい」(昭3・5・18)という安田譲特高課長の意向を載せるが、これは国費支弁によるもので、北海道全体では警部以上の一四人が増員となる(七月)。警部補以下の増員は地方費によってまかなわれ、道庁の昭和三年度の追加予算と四年度の予算に計上され、合わせて警部補一〇人・巡査三三人が増員され、各警察署に配置される。札幌署では巡査一人の定員増が確認できる(合わせて巡査部長二人・巡査三人、昭和十年までこの陣容が続く)。四年二月には全道の特高主任会議が開かれている。
写真-2 特高主任会議(昭4.2)
司法省では、検察・公判・行刑という司法処理機構の整備拡充を進めた。その中心が思想問題を専門的に扱う思想検事の配置である。北海道では札幌の控訴院と地裁の検事局に一人ずつ思想検事が配置され、控訴院検事には北海道集産党事件の立役者の関実が、地裁検事には黒川英夫が就任した。また、「思想的犯罪等事件ノ性質上特別ノ戒護ヲ要スル者多ク戒護事務ノ激増ヲ来タシ」(司法省 監獄官制中改正ノ儀ニ付請議)という理由で、刑務所の看守長の増員もなされ、札幌大通刑務所に一人増置された。
三・一五事件で学生の占める割合に驚愕した文部省では、全国の帝国大学や官立高校などの思想取締と思想善導の必要性を認め、学生主事や生徒主事を新設した。北大には従来の学生監に代わり、専任の学生主事二人が配置された。各学校には思想善導費が配分されるものの、「頭を悩ます予算の使ひ途/漫談会や遠足会では学生に及ぼす効果が薄い」(北海道帝国大学新聞 昭4・3・4)と揶揄される状況だった。
こうした直接的な取締機構の拡充と同時に、道庁以下の行政機構による思想の引き締めもおこなわれていた。四月三十日、澤田牛麿北海道庁長官は管下のすべての長に対して、「部下吏僚ヲ初メ管下一般ニ対シ今回ノ事件カ光輝アル我国体ニ悖リ国民精神ニ背反スル之ヨリ甚シキモノナキ所以ヲ周知徹底セシムル」(内訓一号)ことを指示した。おそらくこれにもとづき、札幌市長なども訓令を発したと思われる。それは「国体」の光輝ぶりの強調とともに、その変革を企図する悪逆不逞の輩という観念を浸透させていくことになった。当局発表にもとづく新聞のセンセーショナルな報道もこの一翼を担った。