三・一五事件によって特高警察は、多くの情報を入手した。なかでも特別要視察人などの新たな編入や見直しは、その後の社会運動の抑圧取締を容易にしていく。三・一五事件以前の人数は不明だが、昭和三年十一月末現在の札幌署管内の特別要視察人は甲号が一三人(うち九人が三・一五事件に連座)、乙号が五人、思想要注意人が八人だった。この思想要注意人のなかには野口祥昌や高倉新一郎も含まれていたが、翌四年一月末の時点ではともに削除されていた。高倉の場合、「最近学術研究ニ余念ナク不穏ノ言動ナシ」(特高課 思想要注意人調)という視察結果からと推測される。
特高課が三年十二月に作成した「執務資料」には、各種要視察人についてだけでなく、労働団体・農民組合・無産政党・「鮮人団体」・思想団体・新聞紙発行調という広範囲の視察状況がまとめられている。これらは、拡充強化された特高警察網の活動ぶりを物語る。ただし札幌の場合、先の要視察人以外に視察対象となっていたのは、旧評議会系の札幌一般労働組合(組合員数一二人)と四人の労働要注意人、五九種の新聞紙・雑誌にとどまっていた。