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プロ文化運動・学生運動の弾圧

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 札幌における全協諸事件の特徴は、プロレタリア文化運動や北大の学生運動と結びつけられている点にある。日本プロレタリア文化連盟傘下の美術・作家・演劇などの各支部が結成され、「無産者ノ夕」や「プロ美術展覧会・講習会」を開催したが、昭和八年の四・二五事件などにより「組織の中枢を失ひ」(札幌控訴院管内概況 昭9上半期)、運動も逼塞させられた。昭和五年の北大競弁会での演説や長谷川如是閑との座談会開催などから「S・S〔注―社会科学研究会〕ノ命脈ハ根底ヨリ芟除サルルコトナク機会ヲ捉ヘテ台頭シ常ニ学外ニ侵出相呼応シ活動セムトスル兆アリ」(北海道庁警察報 昭5・5・30)という警戒を強めていた特高警察及び北大の学生主事は、七年六月には一挙に北大学生全協支持団事件・自治学生会事件・赤色救援会北大班事件の弾圧を加えた。さらに十年の七・一〇事件では全協中央のオルグの指導を受けた学生たちが「将来日本共産青年同盟と連絡する計画を立て当分学生自主権の獲得を闘争題目とし、且つ全協支持をも目的として活動すべきことを協議し」(札幌控訴院管内概況 昭10下半期)たとして、九人が検挙された(ほかに「助手団」として三人検挙)。すでに「転向」への誘導を重視していた思想検事・特高課長は、この事件で北大当局に対し関係学生の「再教育を施す為学内処分の軽からんことを希望し」(同前)たところ、一人が放学、五人が無期停学という、従来よりは軽い処分となった。