日中戦争の長期化は、取締当局に防諜の徹底を迫った。十三年十月の特高主任会議で、札幌署の外事主任は「思想犯罪に関係してゐるもので日本の現在の組織に対して不平不満を持ってゐる者が外諜に利用されることが多い」(指導記録 第三輯)と発言している。この防諜は、外国人の「諜報行為」に対する取締と「邦人関係防諜取締並指導」の二面がある。前者の例として、後述する北大のレーン夫妻に対する一九三〇年代後半からの「平常米国武官と来往連絡する等の容疑行動ありたる」(外事月報 昭14・9)などという隠微な視察取締があげられる。「邦人関係防諜取締」では軍の機密に抵触する言動は無意識のものであれ、厳しく処罰された。十六年六月、北海道護国神社祭典に慰霊飛行をおこなった北海タイムス社の責任者は軍機保護法違反に問われている(起訴猶予、外事月報 昭16・11)。さらに「防諜週間」や地域ごとの「防諜団」結成などを通じて国民総防諜態勢の確立がめざされた。