道内に居住する朝鮮人に対する視察取締は一九三〇年代から始まっていたが、その本格化は昭和十四年の国民徴用令に伴う朝鮮人の強制的な「労務動員」に対してである。この「労務動員計画ニ基キ半島人取締ノ為メ」(長官事務引継書 昭17)、全道で三六人の巡査が増員され、札幌署にも二人が配属された。その理由は「全道各種ノ思想、経済諸団体、組合等ノ総会ハ常ニ札幌ニ於テ開催セラルル関係上之ガ視察取締ニ忙殺サレツツアル状況ニシテ加フルニ半島人約二千名在住シ居リ」(樋口雄一編 協和会関係資料集 第三巻)というもので、警部補以下九人の内鮮係の陣容に増強された。内鮮警察の役割は「戦時下治安確保ト産業ノ拡充」(長官事務引継書)を至上命題に、紛争議の防止・鎮圧や逃走者の防止・捜査などの取締と労働・生活の指導統制にあった。これらを遂行するために、「皇民化政策」を兼ねて各警察署単位に協和会が設立された。札幌では早くも十四年十一月に市内在住の朝鮮人一五〇人を集めて札幌協和会が結成された。それは「労務者ノ訓練同化」を目的とし、「国体観念の養成」(具体的には、忠君愛国の理解、敬神崇祖の念の養成、宮城遥拝神宮遥拝の訓練など)や「生活改善の強化徹底」などが強調された(北海道樺太年鑑 昭16)。こうした訓練の多くは内鮮係が指導統制した。