開戦直後の「非常措置」の発動は、主に思想犯前歴者に向けられ、治安維持法違反の容疑が認定されると立件された。その典型的事例が、北海道農業研究会事件である。これは思想犯前歴者の中川一男・村上由(ゆかり)の検挙を軸に、北海道文芸協会事件、資本論研究会事件、帯広文化グループ事件などとひとくくりにされ、十七年十月の川村琢・渡辺誠毅らの検挙を経て、十一月に検事局に送られた。この間に、「日本共産党獄内細胞関連事件」とも結びつけられ、農業研究会の活動は「共産主義運動の実践を所謂国策便乗の面に求めて生産力拡充協力の美名に擬装し、最も合法的に而も積極的に革命達成に狂奔しありしもの」(特高月報 昭17・12)と断定された。特高警察は「時局下共産主義運動の新なる傾向」をいち早く発見したと自画自賛するが、それは実態と大きくかけ離れた虚構で、辛うじて肉体的・精神的拷問をともなう「巧妙、細心なる取調」(同前)によって組み立てられたものであった。「どっちみち表に出しておくわけにはいかん。たたいてほこりがでれば治安維持法で、でなければ予防拘禁で」という特高警察官の放言、「農業の共同化は、天皇制否定につながる」というこじつけにこの事件の本質が露呈している(前者は中川の証言、後者は川村の証言、札幌郷土を掘る会 かたむいた天秤)。