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争議の発端

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 札幌郡篠路村(現・北区篠路町)で、昭和三年(一九二八)一月に発生し、一年一〇カ月後の翌四年十月に解決をみた小作争議である。この争議については、旧農林省小作局所蔵史料を利用した桑原真人「昭和三年篠路村の小作争議について」(札幌の歴史6号)という先行研究があり、この研究や当時の新聞報道によって争議の概要を述べてみよう。

写真-12 篠路村の小作争議を伝える新聞(樽新 昭4.10.19)

 争議の発端は、三年一月の篠路村会で、同村が所有する学田地(地元では学田農場と称していた)一四一町四畝一八歩(畑―一四〇町五反三畝二二歩、宅地―五反二六歩)の小作料を、反当り一円二〇銭から三円に引上げることを決議したことによる。
 そもそもこの学田地は、明治時代前期に篠路小学校の附属学田として払い下げられたものであり、篠路村では、明治二十年代以降徳島県や富山県の小作農民二〇余人を入地させ開墾小作を行わせていた。その条件は、①契約後七年間を鍬下期間とし、八年目より反当り五〇銭の小作料とする、②小作契約期間は「永久」とする、③小作権の譲渡と転貸を認める、といった点にあった。しかし明治三十九年、篠路村に二級町村制が施行される前後から、村当局は村有財産の管理を次第に強化し、同年「土地建物賃貸規則」全一八条を制定した。そして、同規則を変則的に適用した上で、翌四十一年、学田地の小作賃貸期間は同年より昭和二年三月までの二〇年間とし、賃貸料(=小作料)も反当り五〇銭から八〇銭に引上げられた。五年後の大正二年、賃貸料は両者の協議でさらに反当り一円二〇銭に引上げられ、この金額のままで昭和三年を迎えたのである。
 この年の三月三十一日は、二〇年間という学田地の小作契約期間が満了となる日であり、前述のように村会は、学田地の小作契約を規則に則って再契約すべきことを決議した。これを受けて篠路村では、学田地の小作料が周辺の土地に較べて安いとの判断から、①今後学田地の賃貸期間を五年間とする、②賃貸料を反当り一円二〇銭から三円に引上げる、③小作権の譲渡と転貸は認めない、との基本方針を定めるとともに、「土地建物賃貸規則」の改正に乗り出した。たとえば賃貸期間を定めた第二条には、同年一月二十四日付をもって次の二項が村会で議決されている。
第二条ノ二 耕作目的ヲ以テ賃貸シタル者ハ該賃借地内ニ居住スヘシ、但シ特別ノ事情アル者ハ村長ノ承認ヲ得テ賃借地外ニ居住スルコトヲ得
第二条ノ三 賃貸権ハ他ニ譲渡スルコトヲ得ス

 従来の規則は、単に牧場、宅地、未開地、「其ノ他ノ土地」といった村有地の種類に応じてその賃貸期間を定めたにすぎず、賃貸人(=小作人)の借地内居住と賃貸権の譲渡禁止を盛込んだ規則の改正は、明らかに学田地の小作問題を是正しようとしたものであった。
 一方、学田地の上杉明ほか三〇戸の小作人は、当初「円満ノ解決」を希望し、一月三十日に村側と協議する予定であったが、それが前日になって拒否され、また規則の「無警告」な改正が実施される等の結果、次第に態度を硬化させていった。三月十一日、小作人大会を開いた一同は、村側の態度に「反対の表示」を決議し、同十八日、その理由書を村側に提出した(樽新 昭3・3・20)。