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ジョン・バチェラーと「アイヌ保護学園」

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 周知のように、ジョン・バチェラーはイギリス聖公会(CMS)の宣教師として、明治初期からアイヌ民族へのキリスト教の布教活動に従事しながら、アイヌ研究にも深く関わり、『蝦夷今昔物語』(明16)、『蝦和英三対辞書』(明22)、『アイヌ炉辺物語』(明27)などの著書を出版した。バチェラーは大正十二年四月、イギリス聖公会の宣教師を辞職するとともに、北海道庁内務部社会課の「北海道土人教育事務嘱託」に転じ、アイヌ民族への「同化」を推進する政策遂行者の側に身を置いた。その一方で、バチェラーは同年、徳川義親らの援助を得て、北三条西七丁目に「アイヌ保護学園」を設立し、翌十三年九月には同学園の寄宿舎を建設した。その設計者は田上義也である。同学園は木造亜鉛葺二階建で、その規模は本館と寄宿舎を合わせて一九八坪余りであった。
 同学園は大正九年に自ら組織し、アイヌ民族の中等学校への進学希望者に対する経済的援助を目的とする「アイヌ教化団」(団長・バチェラー)の事業として行われた。このような方法は明治期の「北海道旧土人救育会」の活動にヒントを得たものと思われる。十一年には「アイヌ保護学園」の前身となる「冬季学校」を自宅に開設したが、一八人の入所者のうち四人は札幌市内の静修会女学校や松華女学校へ入学した(樽新 大13・2・5)。
 バチェラーのこのような試みの背景には、札幌はもとより全国的な中等学校への進学ブームが存在し、同学園の設立は「北海道旧土人保護法」では規定していない、アイヌ民族に対する中等教育の機会を提供する役割を担っていた。