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人口構成

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 札幌市は、昭和九年(一九三四)四月札幌村の一部を編入し、二九・二七四平方キロメートルの市域(札幌市統計一班 昭10、ちなみに平成三年四月一日国土地理院境界修正による市域面積は、一一二一・一二平方キロメートル)と三万八〇一九世帯、一九万六五三九人の人口(昭和十年十月一日実施の国勢調査結果)をもつ中規模の都市となった。明治四十三年(一九一〇)三月の山鼻、豊平、白石、苗穂、札幌の各町村合併以前において実施の区勢調査当時(明42・3・1)、世帯数一万一四六四、人口五万六三四九人と比較し、約二五年後の昭和十年実施の国勢調査では、世帯数では三・三倍に、人口では三・五倍に膨脹したことになる。大正九年(一九二〇)以来、昭和十年に至る四回の国勢調査結果によって、札幌市、小樽市、函館市の道内三市と全道の人口を比較してみたのが表1である。大正九年の第一回国勢調査時の札幌の人口は一〇万二五八〇人の全道第三位であったのに対し、大正十四年の段階には一四万五〇六五人となり、小樽市を抜いて全道第二位となる。それが昭和十年の段階では一九万六五三九人となって、全道第一位の函館市との差はわずか一万九〇〇人余となり、札幌の人口が全道一に達するのも時間の問題となっているのがわかる。
表-1 道内3市と全道の人口比較
札幌小樽市函館市全道
大9102,580人108,113人144,749人2,359,183人
大14145,065134,469163,9722,498,679
昭5168,576144,887197,2522,812,335
昭10196,539153,587207,4883,068,283
1.大正9年の場合は札幌区,小樽区,函館区。
2.『国勢調査報告』より作成。

 昭和十年の札幌市の人口を男女別にみると、男性九万八一四九人、女性九万八三九〇人、合計一九万六五三九人であった。この時はじめて女性が男性を二四一人上回り、男性一〇〇人に対し、女性一〇〇・二四人もいたことになる。また年齢別人口についてみると、十代後半から二十代前半の青年層の割合がかなり高く、どちらかといえば男性の方に顕著にあらわれた。図1は、大正九年から昭和十年までの国勢調査結果をもとに札幌市と全道との年齢別人口構成をあらわしたものであるが、札幌市の人口ピラミッドは左右対称にはならず、しかも十代後半から二十代前半において男性が突出し、女性も負けず劣らず膨らんだものとなっている。全道の場合と比較すると、より一層明確で、若年の男性を中心に多くの人びとが働き口を求めて、あるいは進学のために札幌市域外から流入したことを示している。また、男女別でみると、男性の場合、十代後半の膨らみが突出しているのは理解できるが、十代前半の尋常小学校卒程度の労働力の流入も考えられなくはないであろう。女性の場合は、大正期の女性の職域の広がりによって、十代後半から二十代前半の女性労働力の流入を示しており、昭和五年の不況期にあってさえも働き口を求めて、あるいは進学のために札幌市域外から流入したと理解されよう。札幌市の人口増加が、全道の示す人口ピラミッドと比較しても自然増ではなしに社会増によっているところが大きいといえよう。

図-1 札幌市・全道の年齢別人口構成(各年『国勢調査報告』より作成)

 また、札幌市の人口構成のうち、出生地別にみると、昭和五年の札幌市の総人口一六万八五七六人のうち、札幌市三四・二パーセント、道内三〇・三パーセント、他府県三五・五パーセントという割合に、他府県出生者がまだ札幌市出生者を上回る状況であった。昭和五年の場合、他府県出生地別の内訳がないので、大正九年の場合でみたのが表2である。出生地を東北から沖縄まで一〇地域に分けてみると、やはり東北、北陸地域がそれぞれ三分の一以上ずつを占めている。
表-2 他府県出生者の地方別人数(大正9年)
出生地札幌全道
東北17,804人( 37.6)%480,534人( 43)%
関東 3,534 ( 7.5) 45,627 ( 4)
北陸17,111 ( 36.1)316,555 ( 28)
東山 1,205 ( 2.5)44,343 ( 4)
東海 1,021 ( 2.2)28,696 ( 2)
近畿 1,776 ( 3.7)40,517 ( 3)
中国1,929 ( 4.1)43,709 ( 3)
四国 1,671 ( 3.5)88,380 ( 7)
九州 1,343 ( 2.8)19,381 ( 1)
沖縄6 ( 0.  )76 ( 0)
合計47,400 (100.0)1,107,818 (100.0)
1.「東山」は山梨・長野・岐阜県。
2.『国勢調査報告』より作成。

 次に表3の職業別人口をみると、大正九年における札幌区の有業人口三万七一四三人のうち、三六・五パーセントに当たる一万三五四〇人が工業、二六・四パーセントの九八〇五人が商業、一二・九パーセントの四七九四人が公務自由業、一一・三パーセントの四二〇七人が交通業になっていた。それが、一〇年後の昭和五年では、一位を商業に譲って、二位は工業、三位は有業人口五万八一〇四人のうち一九・九パーセントに当たる公務自由業と、一〇年前に比較し七ポイントも伸びている。札幌市は、昭和五年の不況時にあって、商業、工業が各三割ずつ、公務自由業が二割といった職業構成であった。
表-3 札幌市の職業別人口
区分大正9年昭和5年
農業2,023人( 5.4)%1,706人( 2.9)%
水産業119 ( 0.3)90 ( 0.2)
鉱業211 ( 0.6)117 ( 0.2)
工業13,540 ( 36.5)16,849 ( 28.9)
商業9,805 ( 26.4)17,278 ( 29.7)
交通業4,207 ( 11.3)3,779 ( 6.5)
公務自由業4,794 ( 12.9)11,563 ( 19.9)
家事使用人35 ( 0.1)2,940 ( 5.0)
その他の有業者2,409 ( 6.5)3,782 ( 6.5)
合計37,143 (100.0)58,104 (100.0)
1.大正9年は札幌区。
2.大正9年の家事使用人には住込の者を含まない。
3.『国勢調査報告』より作成。

 また表4によって有業人口の職業上の地位をみると、大正九年の調査が業主・職員・労務者の三者に分類しているのに対して、昭和五年のそれは雇主・単独・使用人と別の分け方をしており、昭和五年の雇主と単独を合したものが大正九年の業主に相当し、大正九年の職員と労務者を合したものが昭和五年の使用人に相当する、と考えてほぼ間違いないであろう。そして全有業人口に占める業主(雇主・単独)と使用人(職員・労務者)それぞれの割合だけをみるならば、大正九年と昭和五年でさほど変化はみられない(昭和五年の分類の「雇主」とは「雇人を使用しまたは家族の補助を受けて自己の業務を営むもの」、「単独」とは雇人も家族の補助もなく「一人にて自己の業務を営むもの」、「使用人」とは俸給・賃金等、さまざまな形で「報酬を得て勤務するもの」と世帯主等の業務を補助する家族を指す)。
表-4 札幌市の地位別有業人口
大正9年昭和5年
業主10,204人( 27.5)%雇主6,243人( 10.7)%
単独8,476 ( 14.6)
職員
労務者
7,897 ( 21.3)
19,042 ( 51.2)
使用人43,385 ( 74.7)
合計37,143 (100.0)合計58,104 (100.0)
『国勢調査報告』より作成。

 大正末から昭和初期の札幌市は中規模の商工業都市であり、官庁、銀行等に勤務する俸給生活者、労務者及び商人が有業人口の大半を占めていた。また有業人口の一五パーセントを占める「単独」の数字からは、誰にも雇われないいわゆる雑業者も多かったことがうかがえる。