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救護法の成立

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 昭和七年一月一日をもって「救護法」が施行された。これ以前の貧困者に対する救済は、明治七年に公布された太政官布達による「恤救規則」によった。その後「窮民救助法」をはじめ、これに類する法律案が再三提出されたが、成立をみないまま昭和の初期を迎えた。しかし、世界不況の中で国民生活の窮乏は甚だしく進む一方となり、保導委員や社会事業家の上奏を契機に成立した。
 その概要はおよそ次のようなものであった。①わが国古来の美風である家族制度を維持し、かつ隣保相扶の情誼を重んじ、新時代の思想をとり入れた国家・地方団体の義務的救護主義をとったこと。②救護の対象は六五歳以上の老衰者、一三歳以下の幼者、妊産婦、「不具」廃疾・疾病・傷痍・その他精神または身体の障害により労務を行うに故障ある者が貧困のため生活不可能な場合のみ。③救護の種類は、生活扶助、医療、助産、生産扶助の四種と埋葬費の支給。④経費の負担については、その均衡をはかるため、国は道府県・市町村の救護費支出に対し、道府県は市町村の救護費に対し、それぞれ一定の補助を行うこと(救護法救護法施行令・同施行規則)。
 なお救護費の程度をみると、居宅救護の場合、昭和六年当時の規準で以下のとおりである。①六大都市及び同等の近接町村、一人一日三〇銭、一世帯一日一円二〇銭以内。②その他の市及び同等の近接町村、一人一日二五銭以内、一世帯一日一円以内。③その他の町村、一人一日二〇銭以内、一世帯一日八〇銭以内(同前)。
 「救護法」の内容は、救済の対象を極貧層に限り、当時の社会問題であった失業救済には手を差しのべていない。全体的にみても、国民生活の不安と思想動揺の防止といった治安の意味が含まれていたことは否定できない。