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壮丁検診

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 近代化にともなって、都市工場生活による健康の悪化が徴兵制に不合格者を多く出していると、政府委員によって力説されるようになった。大正十二年六月、札幌で行った徴兵検査では、本籍者受検人員七三八人中、甲種合格一九七人、第一乙種一四二人、第二乙種二六三人、丙丁合わせて一三六人といった結果であった。このうち、トラホーム患者は前年並であったが、結核と同様、若者たちの間に広まりつつあった性病、当時の言葉でいえば「花柳病」が前年の二倍に増加していて関係者を驚かせた(北タイ 大12・6・28)。
 表38は、大正十一年から昭和十五年までの徴兵検査の際、トラホーム・花柳病に罹っている受検者百分比に対する比率を示したものである。トラホームの場合、昭和八年まで一〇パーセント台を維持している。これは、偶然徴兵検査で診断された数字であって、この数字の裏には同じ手拭を使用するような非衛生的な生活環境を共にする家族も罹患者とみなさなければならない。いま一方の花柳病にいたっては、大正末年まで高い比率で推移し、昭和に入ってやや下がったものの、昭和十年以降再び高く推移する。この花柳病も、軍部を悩ます伝染病の一つであった。大正元年、北海道庁警察部では全道の徴兵検査時の花柳病罹患者数の推移を調査した。それによれば、明治四十三年の全道と札幌区の場合の花柳病罹患者数および千分比は、全道一四四人(千分比二二)、札幌区六人(同九)、それが大正元年になると、全道二八〇人(同一七・二)、札幌区九人(同一二・四)という具合に全道的には倍増していた(本道と花柳病)。この花柳病の増加も都市化にともなう現象の一つであり、道内のおもな都市には貸座敷があり、いかに検梅制度があるとはいえ、無毒の娼妓がいようはずはない。にもかかわらず、当時徴兵検査前の一八、九歳が男子の初交年齢、相手は「接客業婦」であったから、罹患率は高い。しかも兵士の場合、入隊中にも罹患者は増え、彼らは入院あるいは除役となったから、軍部にとって花柳病は「強兵」の妨げともなった。
表-38 壮丁トラホーム・花柳病検診
トラホーム花柳病
本籍寄留本籍寄留
大1112.25%13.34%1.51%1.03%
 126.939.191.780.93
 1310.9810.300.392.71
 1410.3711.990.370.42
昭元6.756.861.241.23
 29.8011.380.20
 310.9213.580.050.05
 411.0911.700.090.04
 58.8910.780.090.02
 67.2410.850.100.13
 713.5114.470.030.09
 87.5512.640.820.75
 97.957.560.430.42
 105.005.701.111.22
 114.527.680.250.18
 127.139.291.350.83
 135.969.000.460.23
 146.157.220.971.94
 155.745.771.361.44
1. 受検者100に対する比率。
2. 昭和16年以降は壮丁検診の項目なし。
3.『札幌市事務報告』より作成。

 それとともに、昭和十二年の壮丁検診では、検査人員一二〇〇人中八〇〇人が結核の保菌者といった「結核都市札幌」の不健康ぶりが裏打ちされ、健康対策が急がれた(北タイ 昭12・2・25)。