昭和十六年(一九四一)四月、全国の小学校は一斉に国民学校という名称に改められた。当時、札幌に存在していた西創成尋常小学校をはじめとする二二校の小学校もすべて国民学校となった。この措置は昭和十三年十二月の教育審議会の答申に基づくもので、その法的根拠となったのは「国民学校令」である。同令の制定は「現今未曾有ノ世局」という危機認識を踏まえて、「国家ノ総力ヲ発揮」するための教育体制の確立を意図していた(文部省 国民学校令並ニ国民学校令施行規則制定ノ要旨)。同令によれば、国民学校の目的は「皇国ノ道ニ則リテ普通教育ヲ施シ国民ノ基礎的錬成ヲ為ス」ことと規定されている。このなかの「皇国ノ道ニ則リテ」とは、教育勅語に基づく「国民教育の最高原則」であると考えられていた(船越源一 国民学校法規精義)。
同令による制度改革の主な内容を見ていくと、その第一はそれまでの義務教育年限を二年間延長して、八カ年としたことである。第二は国民学校の課程を初等科(六年)と高等科(二年)に区分し、第三は保護者の貧困を理由とする就学義務の免除や猶予を廃止し、その徹底を図ったことである。国民学校の教育課程はそれまでの教科を再編成し、国民科、理数科、体錬科、芸能科、実業科(高等科課程)を新設するとともに、これをさらに複数の科目に区分した。一例を挙げると、国民科には修身、国語、国史、地理の四科目が含まれている。
国民学校の教育目的は「錬成」である。「錬成」とは文部省の造語で、それは「児童の全能力を錬磨し、体力、思想、感情、意志など要するに児童の精神及び身体を全一的に育成する」ことである(朝日新聞社編 国民学校―その意義と解説―)。国民学校はまさにそのための場であったのである。その「錬成」の実態を札幌市内の国民学校の事例を通して見ていこう。
北海道女子師範学校附属幌南国民学校の昭和十七年の「錬成日課表」によると、それは「家庭社会訓練」「集団訓練」「学習訓練」「勤労訓練」「特殊訓練」という五つの「錬成要目」に区分されている(同校 校務分掌表)。「家庭社会訓練」では登校時の「奉安殿礼拝」を、「集団訓練」は曜日によって異なるが、「宮城遥拝」「聖勅奉誦」「ラジオ体操」「大日本青少年団綱領唱和」「国民音楽」などをそれぞれ児童に課した。「集団訓練」は学校休日の日曜日にも「国旗掲揚」や「神社参拝」を義務づけた。また、「学習訓練」では「教科学習」、「勤労訓練」では「美化作業」、「特殊訓練」では「養兎」などがそれぞれ「錬成」の内容であった。同校の学校経営も「錬成経営」を組織化し、「国民訓練部」(日常錬成係・勤労教育係・軍人援護係・防空訓練係)、「健康教育部」(鍛錬部・衛生部)、「児童文化部」(図書館係・掲示教育係・映画会童話会係・学芸会音楽会展覧会係)の三部を配置した。
各国民学校では十七年に「休暇訓練実施要項」を制定し、夏季、冬季の休暇中にも「錬成」行事を実施した。同年の夏季休暇中の「錬成」行事の一端を紹介すると、女子校では休暇中の七日間を「夏季錬成日」とし、「燕麦精選作業」「水泳団体訓練」「豊平館内清掃」などにあてた。豊水校では休暇中の毎日を「クローバー採種」にあてるとともに、「古新聞回収」「防空訓練」「応召遺家族の労力奉仕」なども併せて実施した(樽新 昭17・7・28)。
このような学校への「錬成」の理念の導入は、それまでの「知識重視」型教育から「訓練重視」型教育へと転化していくことを意味した。