札幌市内には文部省が前述の「中学校令施行規則」を改正した昭和二年時点で、中学校は北海道庁立第一、第二、私立北海の三校、また、高等女学校は北海道庁立札幌、札幌市立、私立北海、私立藤の四校がそれぞれ存在していた。各学校別の志願者数、入学者数、倍率、入学率は表1①②の通りである。
表-1① 各中学校入学志願者数・入学者数の推移 |
校名 年度 | 札幌第一 | 札幌第二 | 北海 | |||||||||
志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | 志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | 志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | |
大12 | 636人 | 277人 | 2.3倍 | 43.6% | 491 | 205 | 2.4 | 41.8 | 394 | 250 | 1.6 | 63.5 |
表-1② 各高等女学校入学志願者数・入学者数の推移 |
校名 年度 | 庁立札幌 | 市立札幌 | 私立北海 | 私立藤 | ||||||||||||
志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | 志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | 志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | 志願者 | 入学者 | 倍率 | 入学率 | |
大12 | 743人 | 267人 | 2.8倍 | 35.9% | 593 | 215 | 2.8 | 36.3 | 241 | 150 | 1.6 | 62.2 | - | - | - | - |
7 | 526 | 249 | 2.1 | 47.3 | 428 | 250 | 1.7 | 58.4 | 171 | 132 | 1.3 | 77.2 | 491 | 152 | 3.2 | 31.0 |
1.各年度の数値は第1学年分。 2.倍率・入学率は小数点第2位を四捨五入した。 3.①は文部省普通学務局編『全国公立私立中学校ニ関スル諸調査』,②は同編『全国高等女学校実科高等女学校ニ関スル諸調査』より作成。 |
「試験地獄」の実態を端的に示すのは各学校の入学率(入学志願者に対する入学者の割合)である。大正十二年度から昭和二年度までの五年間の平均入学率を算出してみると、中学校では第一中学が四五・二パーセント、第二中学が四四・六パーセントである。北海中学はこの二校よりも入学率が三〇ポイント近く高率で、七三・二パーセントであった。一方、高等女学校では庁立高女が三六・九パーセント、市立高女が四三・四パーセント、北海高女が六五・八パーセント、藤高女が四五・七パーセントというように、男子の中学校以上の「狭き門」であった。この当時の入学試験制度は学区制が敷かれておらず、他の市町村に在住する小学生も受験できたので、札幌の小学生にとっては文字通りの「試験地獄」であった。
このような「試験地獄」の現実は、一方で小学生に対する過酷な「受験準備教育」に拍車をかけた。札幌市内のほとんどの小学校では大正中期から「受験準備教育」が日常化していたが、大通尋常高等小学校では保護者から報酬を受け取る教員も出て、それが「予習教育報酬問題」として表面化したこともあった(北タイ 昭2・3・13)。ちなみに、同校では中等学校への入学志願者だけを集めて学級編成を行い、これを「予習組」と名づけていた(同前)。こうしたケースはすでに一般化しており、『小樽新聞』は「各中等学校を志望する児童達は、甚だしいのは尋常五年の始めからちゃんと区別され、受験組と云って学校で特別準備教育を受けてゐのがもう公然の秘密」と報じている(大14・1・17)。
また、大正十四年には小学生の「受験準備教育」の専門校として、中等予備学院が松華女学校内に開校した(北タイ 大14・9・30)。同学院は「愛児を入学せしめんとする父兄」の要求に基づいて、「最も合理的に児童の能力を図って余り大きな負担とせずに完全な準備教育を施す」ことを目的として設立されたが、その根底には「中等学校の入学試験準備の問題はかなりやかましく論議されてゐるが、学校が増設されて総ての入学希望者を収容し得ない限りは永久に残された問題」という現状認識が存在していた(同前)。このような認識は当時の教育関係者に共通していた。同学院では夜間に「読方」「算術」「綴方」の三教科の指導を行い、月三円の会費を徴収した(同前)。
この前年の十三年には札幌師範学校附属小学校が編纂した小学生用の『自習書』(三―六年生用の四冊)が札幌堂書房から出版された(樽新 大13・3・6)。同書は中等学校受験用参考書として編纂されたものではないが、「革命的良書」というキャッチフレーズが効いて注文が殺到し、初版の一〇万冊は「即日売切」の状態となった(同前)。この売れ行きは、「受験準備教育」への保護者の関心のありようとは決して無関係ではない。同書は単なる小学生の自習用の教材としてではなく、受験用のそれとして購入したものと思われる。全国的に中等学校受験用参考書が多数出版されたのもこの時期である。
写真-10 昭和戦前期の受験参考書
こうした「受験準備教育」の現状に対して、札幌市教育会は大正十二年十二月と十三年一月に発行した同会の機関誌『札幌』第二五・二六号を「予習教育問題研究」の特集号に当て、その過熱化への批判を展開した。昭和二年には島太郎(札幌市医)が医師の立場から過度の「受験準備教育」は体重の減少や記憶力の減退、意志の減弱を招くなど、児童の健康上に重大な影響が生じることを警告した(北タイ 昭2・9・19)。