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「盲学校及聾啞学校令」の制定

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 大正十二年八月、視覚・聴覚・言語に障害を持つ人々の教育を公教育制度のなかに位置づける単独の勅令として、「盲学校及聾啞学校令」が公布された(施行は翌年四月)。それまでこれらの障害を持つ人びとは、明治三十三年に制定された「第三次小学校令」の規定によって就学免除の対象となり、公教育の場から遠ざけられていたのである。ちなみに、同令が制定された当時の全国の「学齢盲児童」の就学率は二・一パーセントに過ぎなかった(文部省年報)。同令では健常者に対しては、四年間の厳格な就学義務を課していた。
 障害者事業関係者は大正デモクラシーを背景に、こうした教育状況を打破するための方策として、単独の教育令の制定を要求する運動を積極的に進めた。大正九年には第七回全国盲啞教育大会の開催時に「盲啞教育令発布期成会」、また、十一年には帝国盲教育会に「盲啞教育令発布促進会」がそれぞれ結成され、関係機関への請願活動などを精力的に展開した(文部省 盲聾教育八十年史、同 特殊教育百年史)。こうした活動に押される形で、文部省は十一年六月頃から法案準備に着手し、翌年八月の枢密院本会議に上程、可決された(同前)。
 こうして制定された「盲学校及聾啞学校令」は一〇条から成り、その第一条で「盲学校ハ盲人ニ、聾啞学校ハ聾啞者ニ普通教育ヲ施シ其ノ生活ニ須要ナル特殊ノ知識技能ヲ授クルヲ以テ目的トシ、特ニ国民道徳ノ涵養ニ力ムヘキモノトス」と規定し、それまでの「盲・聾併置の思想を改め、盲学校と聾啞学校に分離し」た点に特色がある(特殊教育百年史)。ここで注意すべきことは、目的規定のなかに「国民道徳ノ涵養」という文言を挿入したことで、そこには「天皇制国家主義教育の盲聾教育への貫徹」を窺うことができよう(平田勝政 大正デモクラシーと盲聾教育)。
 同令の施行に伴って、文部省は「公立私立盲学校及聾啞学校規程」を制定し、修学年限や入学年齢、学科目などを規定した。ちなみに、修学年限は学校の種類によって異なり、「盲学校ノ修業年限ハ初等部六年、中等部四年ヲ常例トス、聾啞学校ノ修業年限ハ初等部六年、中等部五年ヲ常例トス」と定めた。しかし、同令の規定には就学義務に関しては言及していなかったため、障害者事業の関係者はその実現を目指して、さらに運動を進めていかなければならなかった。
 同令にはこうした問題点が内在してはいたが、その制定を契機として、全国的に設置形態の公立化が進行し、就学者も急速に増加していった。事実、昭和五年の全国の就学率は同令施行時と比較して、一〇ポイント以上も上昇し、二一・四パーセントに達した(文部省年報)。札幌でも同令の影響を受け、これから述べる私立札幌盲学校などが開校した。