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『暁雲』の創刊

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 大正十五年十一月、北海タイムス俳壇の選者であった青木郭公が主宰となって『暁雲』が創刊された。巻頭言に郭公は「私共の俳誌が午雲と言はず、暮雲と言はず、暁雲と命名したのは、私共の今新たに結束して、俳句の国へ出発する夜明の空合を仰いだに外ならない」と理想主義者らしい意図を語った。当時還暦を過ぎた郭公であるが、以後一八年にわたり毎号欠かさず巻頭言と編集後記を書いた。郭公の名声と人柄を慕って全道各地の俳人が参加した『暁雲』は、『時雨』と並んで本道俳壇をリードした。主な参加者は杉山月魄、杉本堅雪、竹田凍光、池田六象、気境草坡などである。昭和十八年八月、郭公は八〇歳で亡くなり、死後奥村静雨が引き継いだが、戦争末期の雑誌統制で十九年三月に通巻二〇七号を出して休刊した。