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占領軍の札幌進駐前史

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 パール・ハーバーへの奇襲により、アメリカでは一挙に対日報復への国民世論が高まる一方で、早くも来るべき占領に向けて、日本の社会・経済など、あらゆる研究が開始された。そのなかには地方都市に関する情報収集も含まれ、札幌とその近辺の地勢なども調査の対象となった。
 それらの調査は、GHQ・SCAPの参謀第二部(G2)のウィロビーの序文を付けて、〝ALLIED GEOGRAPHICAL SECTION〟の第一〇四号〝OTARU-SAPPORO〟として昭和二十年(一九四五)八月三十一日付でまとめられている(GHQ・SCAP Record)。これでは、上陸のための海岸や港の情報、道路・鉄道・水路などの状況、食糧・燃料・電気などの資源、医療情報などのあらゆる面から分析が加えられるほか、詳細な地図・航空写真・札幌市内の市街地や建物の写真なども付されている。これらの情報を手に、占領軍の北海道進駐は進められた。
 マッカーサーの日本到着後、各地への進駐が進むなか、まず二十年九月八日、青森県大湊に米第九艦隊が「緊急進駐」し、能代以北の秋田県、青森県と北海道全域が米海軍の占領地域となった。九月二十五日に青森に進駐した米第八軍管下の第八一歩兵師団が海軍に取って代わった。これより以前、横浜に司令部をおく第八軍では日本政府に対して、二個師団で十月四日に函館進駐、五日に小樽と札幌に進駐するなどの日程を伝えていたが、実際にもそのとおりの進駐となった。