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先発隊の派遣

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 この北海道進駐に先立ち、抑留されている米兵捕虜の救出と進駐準備のため、先発隊が派遣された。敗戦時、北海道には非軍人も含め捕虜は一六四三人収容されていた。このうち、札幌の月寒分所には将校一四人と准士官以下八人が収容されていた(防衛研究所戦史室 田口英男資料)。まず、健康状態に危惧のあるこれらの人々の救出が急務となった。九月中旬から捕虜の帰還がはじまった。
 八月下旬、連合軍総司令部からカーペンター大佐ら五人が千歳に空路乗り込み、札幌グランドホテルほか、主要な建物の接収を決めていった。さらに九月二十二日には連合軍総司令部のハートマン代将が、翌二十三日には第九軍団参謀副長のロイス大佐らが札幌入りした。十月一日来札の第九軍団設営主任のブライヤー大佐は、「道側の差し出した接収建物リストは問題にせず、直ちに丸井デパート屋上航空灯に上り、道庁、逓信局、グランドホテル、大同生命ビル、市役所など主だった建物を次々と指示、接収を命じた」(高橋昭夫 証言 北海道戦後史)。ただ、道庁と市役所は行政の混乱を招くとの陳情が功を奏し、接収をまぬかれた。道庁はトイレ不足のため、米軍は敬遠したともいう。
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写真-1 中心部の接収建物調査