進駐直後の十月六日には、札幌市に「諸般ノ事務相当輻輳スベキヲ予想セラレ、其ノ他外国及外国人ニ関スル事務ヲ処理セシムル為」として渉外課が新設された。課長(兼務)のほか、通訳二人を含め、八人の陣容で、早速『渉外情報』が発行された(年内には第七号まで)。なお、この渉外課は、翌昭和二十一年(一九四六)四月には、秘書課渉外係に縮小される(昭20、21事務)。
警察部では、閣議決定「警察力整備拡充要綱」にもとづき、全道で定員の二倍近い増員を計画するが、これは「愈(いよい)よ近づく連合軍の来道」にも備えるものだった(道新 昭20・10・3)。十月になると、札幌署には一大隊四中隊一二小隊から成る警備部隊が編成されるとともに、交番も五カ所増設された。また、十月一日には、渉外担当の警部が小樽・函館とともに札幌にも配置された。
戦前には防諜や外国人の監視などにあたっていた外事警察は、進駐を前に「外事親善といった方針のもとに友好調整の大きな役割を担ふ」(道新 昭20・9・12)と転換を図った。その後、十月四日のGHQの「人権指令」により、特高警察とともに外事警察が廃止されると、その機能は、「米国進駐並ニ華人、半島人等ニ関スル渉外事務益々繁忙ノ現況ニ有之」(北海道庁 長官事務引継書 昭20・10)という理由で、警務課内に新たに設けられた渉外係に受け継がれた(以上、荻野富士夫 北の特高警察)。
また、警察部では九月十八日、保安課を新設し、「進駐軍関係特殊慰安施設」の整備にとりかかった。
十日には、札幌に国の終戦連絡事務地方局が開設された。これは、占領軍に対して管内の情報の提供や設営などの各種の便宜供与をおこなっていく。