そのような軍政に札幌市がどのような関わりをもったか、また軍政部が市に直接どのような監督・指導をおこなったかは判然としない。進駐直後に新設された渉外課の事務内容をみると、「物品購入」「建物接収及借用」「調査」「設備」などの連絡が主で、取扱件数では「進駐軍」「一般市民」「終戦連絡事務室」などの順になっている(昭20事務)。
一方、進駐後しばらくの間、「連合軍関係臨時労務者募集」の新聞広告が掲載されていた。終戦連絡札幌事務局と札幌勤労局の連名による「地均、清掃、其ノ他雑作業」という内容で、「市内及月寒」が勤務地とされた。『昭和二十年札幌市事務報告』には、「自十月十二日至十一月三十日間札幌勤労署長ノ依頼ニ依リ勤労者毎日一一五名出動セシメタリ」とある。
その後は、市有地・建物の接収・解除、「総司令部要人の来札」時の渉外関係などのほか、「街娼」問題があった。二十二年には、約一一〇〇人と推定される市内の「街娼」に対して、「連合軍軍政部の指示もあり警察署、道庁及病院と共に定例会同し随時診療所入院患者の調査を行ひ生業更正への誘導に当った」という(昭22事務)。