自治体警察期の警察活動の一端をみよう。戦前の強権的な警察に比べ、戦後の警察は民主警察の確立をめざし、とくに一般民衆への対応で大きな改善がみられた。『北海警友』の昭和二十四年三月号では「新制度一周年記念民警懇談会 今後の民主警察は如何に運営すべきか」を特集し、「窓口の接遇とか街頭の執行務、犯罪捜査等」に関して、出席者はおおむね及第点をあたえている。小松警察長は、市民のなかから「今迄の警察の巡邏は殆(ほとん)ど大きな道路しか歩かない。最近の警察は裏通りまで廻る。置忘れた自転車とか戸締りを注意して呉れるので、本当に市民の警察だ」という声が上がっていることを紹介する。犯罪検挙率も自治体警察となって低下していない、という。
こうした民主警察への転換の一方で、体制維持のための治安確保の点では、戦前的な抑圧取締の姿勢は継承された。二十五年度の中央警察署警備課の「事務概況」には、「労働運動、社会運動等、所謂大衆運動に随伴する不法越軌行為にして予防鎮圧の為警察の出動したる回数は十三回にして其の延人員一七〇三名であるが、その結果違法行為として検挙したものは十五名であり夫々立件送致した」とある(昭25事務)。同年の北警察署警備係の概況では、帝国製麻ストや伊藤組鉄工支部の労働争議、北大のイールズ事件などが取り上げられている。
二十六年になると、市警本部では「国家非常事態に対処する為の警察総合計画」を樹立するほか、「警備情報のしゅう集交換連絡」に関して、道内主要の自治体警察および国警各本部との緊密な連絡体制を確立した(昭26事務)。北警察署ではその管轄内にある北大の学生運動に対する警備に周到な注意を払っていた。