都市の拡大と各地からの人口の集中、多様な都市問題の噴出といった事態の下、札幌市は街づくりに市民の協力を得、自らの居住する都市に対する郷土意識、愛市意識を育成しようとした。
市がオリンピック開催に名乗りをあげたその翌年の昭和三十八年、市婦人団体協議会は、市民の公衆道徳の低さによる市内の公共施設や公園、舗道の汚れはオリンピック開催都市としてふさわしくないとして、市民の「公徳心」を高め、札幌を明るく住みよい街にするために、市長に「市民憲章」の制定を要望することとした(道新 昭38・5・10)。市PTA連合会、市婦人団体協議会、市青少年問題協議会などが市、市議会、教育・文化・経済・司法・農林・婦人・体育など各界に呼びかけ、七月二十二日に市民憲章制定準備会議が結成された。同会議は市民アンケートをとるなどして、市民憲章を作成、十一月二日に憲章制定記念市民大会を開催した(制定・告示は翌日)。札幌市民憲章は、「わたしたちは時計台の鐘がなる札幌の市民です。元気ではたらき、豊かなまちにしましょう。空も道路も草も木も、きれいなまちにしましょう。きまりをよくまもり、住みよいまちにしましょう。世界とむすぶ高い文化のまちにしましょう。」というものである。市は十一月二日より一週間にわたって市電、市バス、市内各所にポスターを掲示、紹介パンフレットを配布するなど、市民にPRした。翌年には準備会議を母体に文化人や婦人などを中心とする市民憲章推進会議が発足し、市民会館に市民憲章像の設置、PR映画「わがまちは緑なり」の製作、子供会議の開催や、毎年十一月三日の制定日の記念行事開催などによって、市民憲章の普及に努めた。
その他には、名誉市民条例改正による栄誉市民条例制定、市旗制定、市民手帳作成(以上昭39)、市民記念植樹、時計台永久保存(以上昭42)、札幌市創建百年記念行事(昭43)などがあった。