昭和三十四年スイスのベルンとの兄弟都市を結ぼうという話が郵政省郵務局長を介して持ち上がった。この話は、万国郵便連合会でベルン市を訪れた局長が、ベルン市の紋章が熊であることから、熊といえば北海道に縁があり、その代表都市札幌から熊の彫り物をプレゼントし、さらに兄弟都市になればと考えたことに端を発する。そのため札幌市の高田市長から友好のメッセージと共に熊の彫り物を局長に託してベルン市長へ送った(道新 昭34・5・9)。
三十五年にはデンマークのコペンハーゲンとの姉妹都市提携の話がでた。これはデンマーク日本協会設立に関わったコペンハーゲン大学のステーマンがその希望を表明したことで、北海道デンマーク会が賛成して原田市長に協力を求めた話である。市長は市民の声の盛り上がりをみてという意見であったが、道デンマーク会では実現させたい意向であった(道新 昭35・3・5)。さらに三十八年にはスウェーデン大使の子ら三人が冬季五輪招致問題で原田札幌市長を訪問した際、スウェーデンのウメオ市と姉妹提携してはと申し入れた話がある(道新 昭38・9・19)。
三十六年一月札幌医科大学学長大野精七がフンボルト大学一五〇年記念祭に招かれた際、原田市長からミュンヘン市長宛のメッセージを託され、帰国に際して逆に原田市長宛のメッセージを託されて帰国した。それに対し原田市長は、ミュンヘンとは親友都市として仲良くしたいとして返事を出すと共に、ビールの交換計画などを立て始めた(道新 昭36・1・7)。