札幌市は昭和四十年一月十三日に、JOCへ第一一回オリンピック冬季大会招致申請書を提出した。二十四日にJOC常任委員が来札して現地調査を行った後、二十七日にはJOCが札幌市への招致を正式決定した。この度は、前回を反省したJOC側の迅速な決定運びであったといえる。
今回の招致運動の組織としては、「札幌招致を実現することを目的」(規約第一条)とするオリンピック冬季大会札幌招致委員会がつくられている。前回の招致委員会よりさらに規模を拡大し強力にしたものであり、(1)札幌市・北海道の関係者、(2)JOC委員、(3)日本体育協会関係者、(4)政府機関の関係者、(5)国会の関係者、(6)その他の関係者という具合に、あらゆる関係組織、機関を網羅したものであった。会長には再び川島正次郎(当時、自民党副総裁)が就任し、副会長には足立正(日本商工会議所会頭)、石井光次郎(日本体育協会会長)、石坂泰三(経済団体連合会会長)、町村金五(道知事)、原田與作(市長)、以上の五人が選ばれていた。委嘱した委員は、政府六八人、国会一〇四人、在外公使館五三人、JOC五一人、日本体育協会八〇人、道・道議会一二〇人、道体育協会八〇人、道内市町村四八人、札幌市・市議会六九人、札幌体育連盟六二人、財界・報道一九六人、以上の関係者で九三七人にも及んでいる。また、四九九人が道内、三八五人が道外の在住者となっていた(道新 昭40・5・11)。
設立総会は五月七日に札幌で開かれ、「前回の招致運動の経験を生かし、全国民の支援のもと、われわれ招致委員一同は相互に密接な協力を図り、もってオリンピック冬季競技大会札幌開催の実現を期す」という決議文を採択していた(タイムス 昭40・5・7)。十一日には東京でも、設立報告会がなされていた。事務所は札幌商工会議所内に設置され、東京事務所も置かれた。
また、実質的に招致活動や開催案を企画、決定していく機関であった実行委員会が設置され、委員長は竹田恒徳(JOC委員長)、内部に東京部会、北海道部会が設けられ、後者は五月三十一日に第一回の会議を開いている。
市民側の招致推進機関であったオリンピック冬季大会札幌招致推進会議は、四十年六月二十四日に推進協力会と名称を変更し、市民の立場で幅広い招致推進の協力運動を続けることになった。