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敗戦直前の転廃業

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 敗戦間近の昭和二十年(一九四五)六月以降、空襲の激化にともない、札幌市内では「建物疎開」が実施された。これにより防空疎開区域内の商工業者は転廃業を余儀なくされ、四五〇人のうち三一〇人は市内あるいは市外に移転して営業を継続したが、廃業したものも一四〇人にのぼった(昭20事務)。また六月三十日には公設小売市場の第一小売市場(南1東1)、第三小売市場(南7西8)、豊平小売市場(豊平2-3)が閉鎖された。これにより市内の公設小売市場は、薄野小売市場(南6西4、店舗数三一)、桑園小売市場(北3西13、一三店舗)、鉄北小売市場(北10西3、一〇店舗)の三カ所のみとなった(昭21事務)。これらの市場が閉鎖された理由としては、防空面とともに、統制強化による転廃業の促進や物資不足により出店者の廃業が相当数に及び、もはや市場としての経営が困難となっていたことがあげられる。ちなみに札幌市では、北海道企業整備委員会札幌地方部会を設立して中小商工業の再編成を行い、二十年七月までに食料品や雑貨商ほか一二業種の業者総数二七七一人中、五三・二パーセントの転廃業を完了させた(昭20事務引継書)。
 一方、五月には品種別配給所を整理統合した共同経営による総合配給所の設置案も浮上した(道新 昭20・5・5)。品種別の配給所では買い物に出向く主婦が空襲にあう危険度が増し、非常事態の際に迅速・適正な配給ができないこと、配給量不足により業者自体の生計が不安定であることなどが、総合配給所を設置する理由としてあげられていた。しかし配給店の整理統合は、さらなる転廃業者の生活補償や職業斡旋を行わなければならないことから(道新 昭20・8・8)、結局終戦までにこの構想は実現しなかった。