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北海道への集団帰農政策

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 第二次世界大戦末期の昭和二十年に入ると、アメリカ軍の日本に対する攻勢はますます激しくなり、二月十六日、行政区画上は東京都に含まれる硫黄島をアメリカ海軍機動部隊が攻撃、三月十七日に占領した。サイパン島の航空基地から日本本土空襲を計画していたアメリカ軍にとって、硫黄島はその中継基地としての役割を果すこととなり、以後日本各地への空襲は次第に激化した。これより先三月九日には三〇〇機以上のB二九爆撃機が東京を空襲し、死者八万四〇〇〇人・罹災者一五〇万人・焼失戸数二三万戸という大被害をもたらした。このように都市戦災者が増加するとともに、都市部を中心に食糧事情が急速に悪化した。政府は、その対策として都市住民の地方への疎開と食糧増産を目的として、同三月に「都市疎開者ノ就農ニ関スル緊急措置要項」を閣議決定した。
 この政策の一環として、同五月の次官会議で「北海道疎開者戦力化実施要綱」が決定された。この要綱によれば、都市等の戦災者・疎開者・離島引揚者の中で「北海道ノ拓殖農業ニ積極的ニ挺身シ、戦力増強ニ貢献セントスル真摯ナル熱意ヲ有スル者」五万戸・二〇万人を選び、集団的に北海道に送り出そうというものだった。具体的には、疎開者に取りあえず主要食糧の配給と一戸当たり一町歩の開墾地を貸与し、北海道農業に習熟した段階で、独立農家としての経営を保証する為に一戸当たり一〇~一五町歩の未墾地を無償付与する計画であった。