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白石隊の入植

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 一方、白石村では農兵隊一五戸を受入れたが、実際にはこれらの人々は上白石国民学校に収容され、集団生活を営みながら農業研修が続けられた。十一月になって漸く一五坪の住宅一五戸が完成し、十一月六日に帰農者全員と関係者が集まって現地入りの壮行会を兼ねた竣工式が行われた(道新 昭20・11・8)。
 これらの拓北農兵隊は、敗戦後は拓北農民団または集団帰農者などと呼ばれるようになり、昭和二十年十一月までの間に道内一三七町村に合わせて三四六七戸・一万七三〇五人が入植したが、彼らはいわば戦後緊急開拓者の先頭を切っていた。

写真-6 拓北農兵隊の到着を報じた新聞記事
『道新』(昭20.7.10)