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北海道商工経済会の解体

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 道商工経済会の活動は、調査活動・貯蓄増強・金属回収・講演会・展覧会等、経済統制への協力にしぼられたが、太平洋戦争が終結すると、経済再建のために復員者の就職、軍需工場の平和産業への転換、食品・衣料・日用雑貨の緊急生産、労務問題の解決等にあたった。
 二十年十月二十七日、日本商工経済会(同日、全国商工経済会協議会から改称)は、商工経済会をはじめとする総合的地域経済団体を一斉に解体し、これを一元的に統合し、新たな公法人としての商工会議所を設置しようと、「商工経済団体機構改革に関する意見」を商工省に建議した。日本商工経済会は、戦前のように多数の商工会議所が復活すると、事業がとかく議論倒れになるおそれがあるとして、一府県一会議所程度に限定すべきであると主張したのである。ところが、一府県一会議所とする案に対しては、近畿中小都市商工会議所連盟をはじめとする「中小都市商工会議所」が、府県商工会議所は府県下全地域より徴税し、これを「中小都市商工会議所」に還元することによって「中小都市商工会議所」を隷属化し、自らの優越的特権の維持をはかろうとするものであるとして反発した(札幌商工会議所八十年史、以下札商80年史と略)。こうした対立は本道でもみられ、二十二年北海道商工会議所からの札幌、小樽等の商工会議所の脱退となって表面化することとなる。