札商は二十一年発足と同時に、経済復興に向けてさまざまな商工振興策を展開した。初年度事業では札幌市商業実態調査を行い、翌二十二年九月に『札幌商工案内』を刊行している。また、二十一年十二月には市と札幌商工再建連盟(昭21・3設立、道商工経済会が道内各地に結成)との共催で、札幌市商工復興祭を開催した。目抜き通りの四丁目・狸小路・ススキノには色鮮やかな広告塔やアーチが設けられ、店頭装飾競技会・福引き大売出し・仮装行列・優良店舗の表彰等が行われた(昭21事務)。
二十二年にはインフレの進行とヤミ価の高騰を受けて、各地で物価引下げ運動が展開されたが、札幌でも札商が中心となって、同年六月一日から札幌圏の小売業者・卸業者・生産者・一般消費者を含めた運動が推進された。たとえば加盟店舗には「店を選んで買へ、公価厳守」の標語を掲げ、業者と消費者の自覚を促し、関係当局には物資の増産や、闇取引の取締り強化等の意見を具申したほか(札幌商工会議所所報 第二号)、同二十日には物価引下げ商業者大会を狸小路観音堂前広場で開いている(札商80年史)。
さらに、二十二年九月八日から十日までの三日間、第一回優良百貨卸見本市を狸小路六丁目ニューグランドで開催した(北海新報 昭22・9・6)。これ以降、販路の拡張と貿易の振興をめざして、各種物産展や見本市等が相次いで開催されるようになり(北海経済新聞 昭23・2・16)、物産展の開催件数は、二十四年一〇件、二十七年二二件、二十八年には物産展が二九件、見本市が一四件の計四三件と、ウナギ登りに増加していった(道新 昭28・10・23)。また、三十四年には第一回札幌総合卸売見本市が開催され、より大規模な見本市に対応できる会場が求められるようになった。
二十四年に始まった「びっくり市」は、商店が抱えるストック商品を整理するために札商が企画した歳末大売出しであるが、三日間で三万人という予想外の人出があり、回数をおうごとに新しい趣向を凝らし、三十年代前半まで歳末名物として人気を呼んだ。
また、三十四年からは、「さっぽろ夏まつり」を「さっぽろ商工夏まつり」と改称して、商工振興策を前面に打ち出した。夏の〝観光さっぽろ〟の宣伝と合わせて、商店街の夏枯れを一掃しようと、会期中毎日お楽しみセールを特設したほか、ビヤガーデン・納涼市・特選品ショー・清酒展示試飲会・バーゲンセール等が行われた。夏まつりは、次第に雪まつりと並ぶ全市的な祭りに成長し、市勢の伸展とともに、ことさら商工業の振興を印象づける必要性も薄れたため、三十八年第一一回からは元の「さっぽろ夏まつり」に改められた(さっぽろ夏まつり三十年)。