一方、総工費約五億円をかけて中央卸売市場を開設した理由の一つは、なんといっても物価問題であり、開場当初は全道の生鮮食料品の価格を決める標準市場として、北海道全体の物価問題の解決にも大きな役割を果たすものと期待された。ところが中央卸売市場開設後かえって魚や野菜の値段が高くなったといわれ、昭和三十六年一月には市婦人団体連絡協議会が卸売市場の運営改善などを要望した請願を市議会経済委員会に提出している。この請願は不採択だったものの、要望にあった標準小売物価の発表に関しては、市としても取り組むこととなった。
しかし標準小売物価の発表一つとっても、容易には実行されなかった。札幌の物価高の要因は複合的で、中央卸売市場の卸売業者を一ないし二社に限定したことの是非、仲買人の存在の是非、卸値と小売値の格差と小売店の経営難、場外市場の存在に起因する中央卸売市場への商品供給不足、物資の本州依存率の高さと輸送事情など、さまざまな立場からさまざまな指摘があり、解決策がみいだせなかったからである。標準小売物価の発表も三十七年八月一日から実施されたが、その算定に場外市場の商品の価格が含まれないこと、生鮮食料品は仕入れても二、三日は店頭に出さない場合があり、高値で仕入れた商品もその日の標準価格で販売しなければならなくなるなどの批判から、標準小売価格を無視したり店頭公示を行わない小売店も多かった(道新 昭38・5・13)。
ところが三十八年六月二十五日の閣議で、川島正次郎行政管理庁長官が地方都市の物価高、特に「札幌の生鮮食料品は東京、大阪より高い」現状を報告したことから、「札幌価格」、「北海道価格」への関心が一気に高まり、市だけでなく北海道全体で、本腰を入れて物価対策に取り組むことになった。市でも七月二十九日札幌市消費生活物資対策審議会が設置され、十一月一日には消費経済課を新設して消費者行政に乗り出す一方、十二月十八日には札幌圏蔬菜需給協議会を組織し、札幌の消費状況に見合う生産、集荷の実現にむけた対策が話し合われることとなった。