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小売市場の乱立

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 昭和二十年代の終わりごろからさかんに新設された小売市場も、三十年代にはいると乱立の様相を帯びてきた。当時日本の六大都市では人口一万二〇〇人あたり市場は一つの割合が適当といわれていたが、札幌の場合は三十二年九月現在で八八の小売市場があり、人口五一五〇人あたり一市場の計算となることから(道新 昭32・9・22)、共倒れの危険性がいよいよ指摘されるようになってきた。そこで既存の小売市場関係者のあいだからは、小売市場の新設に反対する陳情や取り締まり条例を求める声が高まり、市議会経済厚生委員会は十二月九日これを採択し、対策に乗り出すこととなった(道新 昭32・12・10)。しかしその後も小売市場は増えつづけ、三十四年には一一八軒に達した(道新 昭34・6・17)。またこのような動向は、札幌に限らず全国的なものであったことから、三十四年六月二十九日政府は小売市場の乱立防止を含む小売商業調整特別措置法の施行を決定し、七月七日から施行された。これにより小売市場とは、一〇店舗以上、野菜及び生鮮魚介類の小売業者を含むものに限られ、札幌は、横浜、名古屋とその周辺都市、京都、大阪とその周辺都市、神戸とその周辺都市、小倉などとともに同法の適用指定を受けた(道新 昭34・6・30)。

写真-5 八条市場(北8西1)

 一方公設市場薄野小売市場桑園小売市場鉄北小売市場は、三十年ごろから建物の老朽化などを理由に撤去する方針がうち出され、三十二年十月一日には薄野小売市場が、十二月二十三日には鉄北小売市場が、三十四年十月には桑園小売市場がそれぞれ廃止され、薄野小売市場の跡地には、一階と地下に商店、二階から五階までが賃貸住宅となる、いわゆる「下駄履き」アパートが建設された(道新 昭33・9・12)。