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赤字決算から黒字へ

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 豊羽鉱山株式会社の設立年月は、奇しくも朝鮮戦争の勃発と重なり、その影響による国内物価の高騰が起業設備費の増額をもたらした。そのため当初、約二億二〇〇〇万円だった設備関係予算は、二十七年三月決算において約二億円超過し、前年からの累積赤字もあって約五三〇〇万円の欠損を出した。さらに一年後の決算では、欠損は約一億六六〇〇万円にまでふくらんだ。
 そこで豊羽鉱山は二十八年五月、日鉱審議室の「豊羽鉱山株式会社の経営合理化に関する考察」を受けて、五〇〇〇万円の再投資、労働生産性の向上、生産コスト圧縮、選鉱採収率の向上等をはかった結果、同年九月決算において当期純益が初めて黒字(約一八〇万円)となった。その後も当期純益黒字が続いたものの累積赤字の充塡に追われ、赤字経営から脱却したのはようやく三十一年九月決算からであった。この期において株主への配当(一割)が初めておこなわれ、十一月には全社員に祝い金が支給された(豊羽鉱山株式会社十年史)。
 この間、三十年一月に「元山」を「本山」に改称したが、その理由は、「元」には戻るという字義もあることから「水没・閉山の過去に〝かえる〟ことを忌む」(岩田真一 豊羽鉱山 さっぽろ文庫59 定山渓温泉)ためであった。