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十月攻勢と二・一ゼネスト

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 新聞単一提唱ゼネストが挫折した後、産別会議の二十一年「十月攻勢」で生産管理から戦術転換した全炭道協が無期限ストを決行し、坑内三八円・坑外二七円、越冬資金二〇〇円などを獲得した。札幌では札幌地区印刷労組交渉委員らが十一月二十六日、道印刷統制会事務所で道内初のハンガーストに入った(道新 昭21・11・28)。さらに十二月十四日、逓信・国鉄・電産・興農公社・進駐軍常備労務者の各労組一七〇〇人が「越冬資金獲得労働者大会」を大通で開催し(道新 昭21・12・15)、官公労組合の越冬資金・最低賃金制要求や「吉田内閣打倒闘争」に発展、やがて中央の「全官公共闘」による、翌二十二年の「二・一ゼネスト」計画に集結していった。
 全逓道本部のある丸井百貨店四階に全北海道官公労組共闘委員会事務局が設置され、二十二年一月に入ると、国鉄と逓信を中心に政府出先機関組合や全道庁・札幌市職組・北教組・北大職組など官公組合のほか、全日通や興農公社その他の大手民間組合もストライキや業務放棄を決議し、二十八日、札幌大通広場で「吉田内閣打倒国民危機突破大会」を開催した(道新 昭22・1・29)。一月三十一日午前一時、全官公共闘が「スト決行」を決定。だがマッカーサーの中止命令で同日午後九時二〇分、伊井弥四郎全官公共闘議長のラジオによる中止声明でゼネストは中止となった(道新 昭22・2・1)。声明に抗して札幌では、全日通と興農公社従組が二月一日正午からストライキに入った。道内乳製品や農畜産物加工を一手に扱う興農公社(昭22・1、北海道酪農協同株式会社に社名変更)には、従業員組合と従業員協同組合があり、従組は前年十二月から労働協約締結や基本給増額などで交渉中だった。本社、札幌製乳工場及び札幌製薬工場の三カ所で三三七人がストに参加したが、同日夕刻、委員長が札幌軍政部で即時中止を命じられ、翌二日から職場に復帰した(雪乳労三十年史)。

写真-7 「二・一スト」中止に興奮する労働者(昭22.2.2 道庁前)