昭和二十五年五月に北大イールズ事件が発生し、六月六日、共産党中央委員と「アカハタ」編集幹部が追放され、同月十四日、全道庁労組は、「時間中に共産党員として党活動を行った」として同労組書記局員三人に解雇を通告した(労働争議調整事件集録)。七月五日には、市民会館の共産党演説会に札幌市警から武装警察官が出動し、野外抗議集会やイールズ問題真相発表会なども「マ書簡」違反として強制解散させられた(道新 昭25・7・6)。そしてGHQによる民間レッドパージの嵐は、同月二十四日の新聞・放送に始まり、やがて全産業に及ぶことになる。かつて「五三名事件」に見舞われた道新では、さらに三六人に解雇通告が行われ、日経連はパージのモデルとして「赤色分子排除処理要綱」を十月二日付で作成した(戦後労働改革─GHQ労働政策史)。
追放された労働者数は、同年十一月までに全国の民間企業一万九七二人、官公庁一一七七人、計一万二一四九人にのぼり、札幌では道新のほか、北海道配電本店六人・同札幌支店一〇人、日通道支社四人・同札幌支社四人、印刷関係八人(興国印刷四・中西印刷一・文栄堂印刷三)が解雇され、興国印刷労組(一〇四人)が、十一月三日の通告に対して六日から抗議の無期限座り込みストに入り八人が検挙されたが、道新の五人取り消しを除いて、多くは組合の支援もないまま職場を追われた(資料北海道労働運動史ほか)。