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総評と全道労協の結成

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 中央では、昭和二十一年八月一日に総同盟(一六九九組合・八五万五三九九人)が、二十日には産別会議(二一組合・一五七万四一六九人)が結成され、北海道でも、前述したように二十一年一月設立の労組連盟が、九月に北海道産別に発展解消し、総同盟北海道連合会と並立した。二十二年の二・一ストの挫折以降、産別会議の中で「民主化同盟」(民同派)が勢力を伸ばし、二十四年には、脱退組合により全国産業別労組連合会(新産別)が結成された。さらに二十五年、産別会議の民同派組合を中心として日本労働組合総評議会(総評)が結成され、闘争方針をめぐって分裂した総同盟の左派も合流して国内最大の全国労組協議体組織となった。
 北海道でも二・一スト以降、道産別加盟組合を中心とする北海道労働組合会議(北労会議)や、中立協議会が結成されるなど紆余曲折を経て、二十五年十一月、全北海道労働組合協議会(全道労協)結成大会が札幌の炭労道本部で開催され、加盟一一組合・組合員一六万人で発足した(資料北海道労働運動史)。その後、総同盟の一部や中立系も参加して二十八年には二七組合・二三万五九二一人になったが、組合員数の三八パーセントを擁する炭労道本部(八一単組・九万人)を別格として、一万人以上の組合は国労・北教組・全逓・全道庁など官公組合が占め、札幌地区の民間組合では、全日通・電産・道新・帝麻(帝繊)・古谷製菓などの大手組合が参加した(北海道労働組合組織系統図)。道内各地には、企業別組合下部組織の横断的連帯を目的とする地区別協議体もはやくから結成されていたが、札幌地区労働組合協議会が誕生するのは、二十七年十一月になってからである。