市立病院は北海道の中枢的存在の病院の一つとして機能しているが、戦後は医長ら戦死者数人の犠牲を払ってのスタートであった。終戦後の数年間は激しいインフレに燃料難、交通事情の困難などが重なり病院経営も苦境に陥り、表38にあるように患者数も二十三年には底を打つまで減少した。その後二十五年に病院改築五カ年計画を立て老朽化と狭あいの解消に取り組んだ。三十一年には新本館と第一病棟改築が完了し、患者は入院・外来ともにその後は確実に伸び、四十年に三〇万人台を超えしかも入院が外来を上回り四十七年には三七万人となった。戦後一〇年間は、生活保護適用の患者が多くなり、入院患者の約一〇パーセント、精神神経科では分院患者の五〇パーセントが該当した。病床利用率も上昇し二十七年の七〇パーセントが三十四年には九八パーセントにもなった。
年次 | 入院 | 外来 |
昭21 | 115,811 | 209,182 |
22 | 125,089 | 192,463 |
23 | 122,106 | 173,077 |
25 | 152,775 | 180,032 |
30 | 205,752 | 209,852 |
35 | 250,860 | 269,593 |
40 | 311,395 | 300,235 |
45 | 363,656 | 339,559 |
47 | 372,270 | 360,472 |
写真-15 市立札幌病院(昭和40年代 北1西9)
三十九年には交通事故多発に対応して救急指定病院制度ができ、四十三年には院内に交通災害相談室を開設した。四十四年の救急患者は一日当たり三・七人となった(
市立札幌病院百年史)。また、平岸
静療院(昭9~)は精神神経の専科として、南ヶ丘分院は伝染病専科として治療にあたり、同分院は
結核の減少から
結核病棟を四十五年に廃止した。