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景気後退下の賃上げ争議

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 各産業の大規模な人員整理が続く一方で、全日通が、二十八年三月の賃上げ要求で道内全分会が二回の七二時間ストに入り、全日通初の長期ストを記録した。中央バス労組も、部門ストや時間外拒否などの後、六月二十三日二四時間、二十四日からは道央各地の定期バスで無期限ストに入った。だが全日通では争議中に第二組合が結成され、中央バスでも札幌営業所を中心に脱落者が続出した。また、二十九年に一一パーセント賃上げ獲得後に分裂した古谷製菓労組と従組は三十年七月、ともに賃上げや生理休暇要求などで会社側との交渉が紛糾し、労組側は座り込みの場所を正門前から大通西三丁目広場に移し、従組もまた街頭ビラ配布を行うなどで市民の注目を浴びた(資料北海道労働運動史 同前)。
 一方、スト権を剝奪された官公労組合は、二十八年秋の仲裁裁定・人事院勧告完全実施、年末手当増額要求で、超勤拒否(国労・全逓・全林野)、定時退庁(全逓・全道庁)、列車速度を落とす「順法闘争」(国労)、二割・三割年休(全逓・全林野・全電通ほか)等による抗議行動や座り込みなどを実施した。要求スローガンを張り付けた列車が各地で大幅に遅延し、呼応した全逓の組合員五〇〇人が、札幌郵政局に昼夜の座り込みに入った。国労は「合法、非合法スレスレの戦術」として、十二月一日からの一斉三割年休に加えて、道内五客貨車区で一〇割年休に入るなど戦術を強化し、全逓もまた波状三割年休を行使して道内の郵便物が大量に滞貨した。翌二十九年に入ると、国鉄当局が争議責任者の解雇を断行したのに対し国労は、道内各地の超勤拒否に加えて、札幌保線区・札幌電力区、札幌本局及び苗穂工機部などでも三割から五割年休行使で対抗し、全逓も指定局で三割から五割休暇で支援を強化した。以降、官公労組の運動では、「休暇闘争も非合法行為」とする懲戒処分と、組合の「不当処分」撤回運動とが頻繁に繰り返され、組織内では闘争方針をめぐって分裂を招く遠因ともなっていった(同前ほか)。
 二十八年十二月の年末手当闘争では、これより先に特殊勤務手当増額等要求で「安全運転」(カメノコ運転)を行った札幌市交通局労組が、札幌市労連統一行動に合流して再度のカメノコ運転を実施し、また、官公労共闘とは別に北大教職組も、年末手当二カ月分支給や勤務評定反対などで学長室前に座り込んだ(道新 昭28・12・8)。札幌市は市交通局労組の安全運転を違法として組合幹部ら五人に解雇通告を行ったが、これに対する「復職闘争」では、組合を離脱した組合員二〇〇人が従業員協議会を結成するなどの混乱も派生し、二人の復職で収束し三人が解雇された(道新 昭29.7.6)。二十八年以降、失業対策事業就労者を中心に結成された札幌自由労組(のち全日自労札幌支部)による年末手当やお盆手当、完全就労等要求行動も活発化し、対市交渉や道庁前でのハンガーストライキに合わせて全道規模の大会を開催するなど、次第に運動が拡大した。