昭和三十七年の夏季一時金要求でも、民間組合はストを構えて攻勢を強め、北教組・高教組・全道庁なども知事交渉で道庁出入口にピケを張るなどで市民の注目を浴びたが、全体としては大きな混乱もなく収束した。しかし、六月十一日から無期限超勤拒否に入った札幌市労連は、十二日からの市役所内座り込み交渉や激しいデモ行動についで、十四日から最終団交の場を交通局に移した。北海道神宮例祭の十五日午前六時交渉が決裂し、電車・バス乗務拒否指令により出庫を阻止するため市労連傘下組合員がピケを張る車庫に警官隊が出動し、市内の交通網は終日大混乱となった(資料北海道労働運動史 昭33-37)。市側が申請した道地労委調停により、支給済み夏期手当に一五〇〇円上積みなどで妥結し、電車・バスは十六日から正常運行に戻ったが、六月二十日、札幌中央署は威力業務妨害の疑いで組合員五人を逮捕し、さらに九月十八日、市は解雇一二人を含む四二人の行政処分を発令した(札幌市職二十年史)。その後、市交通労組委員長の解雇を含め行政処分を二八人とする道地労委調停案を、労使双方が三十日までに受諾し、逮捕者のうち起訴された三人については最高裁まで争われ、四十五年、無罪が確定した(札幌の労働運動)。