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従量制の実施から無料化へ

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 市清掃部は増加するごみ対策として、三十七年四月から清掃料金の従量制に踏み切った。市内特別清掃地域にスタートさせ、二〇リットル入り石油缶一杯(一〇キログラム)に「札幌市塵芥処理券」(一〇円)を貼り、回収車に渡して半券を受け取るというもので、「きれいな町づくり」のために町の中から共同ごみ箱を順次撤去し、ごみの排出量と作業経費を減らし、併せて市民の負担を軽減することを目的としたが、「清掃法」の原則である「自分のごみは自分で処理する義務がある」ことの実践でもあった(道新 昭38・4・6)。この定日・定刻に一定した位置にオルゴールで周知する清掃車を待ってごみを出す方法には、賛否両論が沸騰した。多くは「不法投棄が増える」などだが、留守家庭は紙袋やポリエチレン袋で出すことで解決し、北海道特殊事情の炭ガラは、二〇リットル八円に減額改訂することなどで決着した。減量効果は絶大で、実施前の三十六年度年間一世帯平均二一六〇キログラムが三十八年度には四分の一の五五八キログラムに減少していた(表18)。ところがその後はごみが増え続け、しかも四十四年になると、台所のごみ以上に耐久消費財を含めた大型ごみがどんどん捨てられる時代になり、「消費は美徳」の言葉どおりにラジオ・マットレス・解体材・ブロック塀などが山積となり、大谷地・川下・丘珠・新川など六カ所の埋め立て処理場が限度を超え始めた(道新 昭44・5・2)。この間、従量制が実施される以前に共存していた台所の厨芥を餌とする養豚業者が、環境衛生面から飼育が困難となり、三十六年に市内で二〇〇戸・一万頭を飼育していた業者が転廃業し、三十八年には馬車やリヤカー小商業者もほとんど姿を消し、清掃車の回らない自己処理地区の真駒内団地の一部では、養豚業者に厨芥の回収を依頼したが回収は停滞し(道新 昭38・8・14)、その後収集の機械化が一段と進行した。
表-18 ごみ収集・排出量
年次市年間収集量
(t)
市域実施率
(%)
平均排出量
年1世帯当り
(kg)
1人1日当り
(g)
昭2465,0661,427
 2574,9391,563
 2681,3891,684
 2791,9701,935
 2884,3691,710
 2993,4711,757
 3098,5491,724
 31113,3041,886
 32115,1051,569
 33134,1141,822
 34144,6051,947
 35163,4072,082
 36175,3162,160
 37139,5061,459
 3864,960558
 3969,97783.2405314
 4079,03687.2405319
 4193,44690.4431348
 42108,20587.2477386
 43124,47488.8500418
 44136,23587.6517445
 45152,57493.1488452
 46189,03797.5543514
 47256,10499.6667642
昭和39年度は当初計画数,40年度以降は実績数。
『さっぽろ清掃史』より作成。

 市は「不衛生な埋め立てより焼却を」と、四十四年度から一五年計画で五カ所に塵芥焼却場建設(じんかいしょうきゃくじょうけんせつ)を計画し、四十六年完成を目標に、発寒に一日焼却能力一五〇トンの焼却炉・二基(計三〇〇トン)の建設を起工した。それ以前の市焼却炉(昭9建設)では、一日三〇トンが焼却の限度のため一日収集量(三〇〇トン)の一割しか処理できない状況にあった(毎日 昭44・10・2)。一方では営業用廃棄物が問題視され、中心部の人口ドーナツ化現象により市街地周辺に新興住宅地が広がり、一般住宅向けの市清掃車・運転手が不足したため、中心部の四丁目十字街のデパート・商店など事業所ごみは、四十五年度から民間委託に切り換えられた(道新 昭45・3・24)。
 そうするなか四十四年三月に、「ごみ・炭がら手数料廃止を要求する札幌実行委員会」(船山しん代表)などによる請願・陳情運動が展開され、四十五年二月十四日、市議会厚生委員会は、将来無料化の方向で検討するとの結論を出した(毎日 昭45・2・15)。ごみの無料化はこの時期全国的にも選挙公約とされ、当選した板垣武四市長の公約どおり、四十七年四月一日から無料化がスタートした。一般家庭三五万世帯が無料化の対象となり、立ち会い不要のステーション収集方式となった。発寒清掃工場のゴミ焼却炉も操業開始(昭46・9)となり一部は市内八カ所へ埋め立てていたが、続いて第二炉の建設計画を厚別下野幌に着手(同年七月)し、ごみ収集車三五台に清掃指導車一二台、埋め立て用ブルドーザー二台、昆虫駆除車など機動力・人員増強も行われた(道新 昭47・2・23)。この間もごみは表18のように増え続け、四十六年秋は札幌冬季五輪に備え、初の大型ごみの無料(一五日間のみ)収集を行い、四十七年以降は完全無料化のほか、生活水準の向上や大量生産・大量消費時代の到来に伴いさらに急増した。