アイヌ民族問題が北海道のみならず、日本における「先住民族問題」として位置づけるために、北海道内のみならず、広く日本・世界に向かって呼びかけてゆく必要があった。戦後二〇年を経ても何ら戦前と変わらず、「開拓」の陰に隠されてきたアイヌ民族の現状をいみじくも伝えたのは、一人のアイヌ民族女性の言葉であった。
四十三年は、全国的に「明治百年」を記念する事業が各地で催された。北海道では、「開道一〇〇年記念事業」として北海道博覧会や開道百年記念式典等が開催された。それに際して、アイヌ民族の一女性から「アイヌを忘れないで 北海道百年におもう」といった投稿が新聞に寄せられた。投稿の背景には「北海道百年」という事業自体が、明治以前から北海道で暮らしてきた先住民族であるアイヌの人びとの歴史・文化・生活・差別問題に気づこうとせず、開拓=進歩とのみ見る「開拓史観」があっても、アイヌ民族がこれまで受けた圧迫を見つめ直そうとはしない、曖昧にしてしまうといった重たい事実を突いていた。投稿文は、「進歩した今の世の中でさえアイヌの若い男や女が結婚しようとするとなにかと障害となるケースは珍しくありません。また同じこの北海道に住み、いっしょに暮らしていながら、いまなおアイヌ人を低く見る人のいることも事実です」。さらに内容は続き、「北海道の土には、われわれアイヌ人の流した悲しい血がしみわたっていることも忘れないでほしいのです」と、結ばれていた(道新 昭43・5・23夕)。この投稿は、反響があったとみえ、五月二十三日の『道新』には、「根強い偏見・差別 アイヌの悩み」のタイトルで「声」欄投稿者の戸塚さんのインタビュー記事が掲載された。そこには、アイヌの人々が根強い偏見を受けているがため、就職・結婚にも民族差別の現状があることをあますことなく伝えていた。
「保護法廃止」が具体化したのは、四十五年六月五日岩見沢市で開催の全道市長会総会で、旭川市長の提案を受け、満場一致で決議したことに始まる(タイムス 昭45・6・6)。さらに、同年六月十七日、ウタリ協会が札幌市で総会を開催、「保護法廃止」を決議した(50年のあゆみ)。アイヌ民族が札幌市民として、「民族の誇り」をもって暮らせるために、アイヌ民族が社会の中で不利な立場に置かれ続けた歴史的背景を理解し、差別のない社会に変えることが先決であった。このため、札幌市が道内他市町村にさきがけてウタリ教育相談員を配置したり(昭56)、行政によるアイヌ民族施策が必要となりつつあった。折しも、歴史研究においてもアイヌ民族の歴史の問い直しが盛んに行われつつあり、人権啓発運動、伝統文化継承運動、「保護法の廃止」と「アイヌ新法」の制定へ向かって大きく歴史が胎動する時期に入っていった。