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定山渓事件

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 行政と組合は、そのほか「管理職手当・管理規則問題」やのちの「宿日直廃止問題」など様々な点で対立したが、その中で警官隊が導入され、衝突事件となったものに、いわゆる「定山渓事件」がある。これは文部省と道教委との共催による北海道地区教育課程研究協議会が、昭和三十四年八月三十一日からの二日間で定山渓において開催されたときの事件である。協議会は、三十六年度から実施される新しい学習指導要領のもとでの教育課程を周知徹底するため、各県単位の講習会の指導者養成を行うことがねらいだった。これに対し、北教組は「教育課程を改悪して民主教育を破壊するもの」と反対し、民主教育を守る共闘会議を結成して断固中止の体制を整えた。道教委北教組は話し合いを続けたが、文部省の強い要請により強行開催された。受講者の入場や騒音による講習会妨害などの中で、警官隊とピケ隊が激しく衝突し、十数人の重軽傷者を出す結果となった。事件後、北教組はこの協議会に参加した指導主事へのボイコット運動なども展開した。北教組の戦術転換や、道教委による「道段階の講習会は文部省の伝達ではない」との約束で、三十五年度の講習会は平穏に開催された(昭36道年鑑)。