わが国のスポーツは戦前においては民間の人々の多年に亘る努力により隆盛を極めたものであった。だが戦時中にそれは軍と官とによる独裁に任されるに至った。大日本体育会は本来民間団体であるにも拘らず官僚的に振る舞ひ、独善的に任せて軍国主義乃至国家主義的にスポーツを塗り替えてしまった。そして明朗なるスポーツ理念の欠落とスポーツの自由が奪はれ、神がかりと軍国調とに災ひされて各種スポーツの技術水準は数十年の後退を余儀なくされた。…今やかかる時世に官僚主義を排し体育の民主化を前進せねばならぬ。民意を尊重して民の手によるスポーツの運用をなすは正しい道である。新陣容をもって現れる体育協会や各種目別の連盟がこの任に当たるであらう。
(道新 昭21・3・4)
結成当初の北海道体育協会の重点計画は、次の五点であった。
一、北海道体育協会の機構整備。
二、種目別体育団体、地域別体育団体、職種別体育団体の結成。
三、スポーツ指導者の養成。
四、重点スポーツ種目の鍛錬、体操・陸上競技・球技・水泳・スキー・スケート・相撲。
五、体育協会加盟団体への助成。
二、種目別体育団体、地域別体育団体、職種別体育団体の結成。
三、スポーツ指導者の養成。
四、重点スポーツ種目の鍛錬、体操・陸上競技・球技・水泳・スキー・スケート・相撲。
五、体育協会加盟団体への助成。
かくして、北海道体育協会は事務局を北海道庁教育部社会教育課に設置し、民主的スポーツ団体として活動を開始した。札幌市体育連盟は、北海道体育協会の組織化と連動しながら、市ならびに体育協会関係者の支援のもとに再結成された。本連盟の創設は昭和八年であり、事務局を市体育所に置いて活動を展開した。連盟の初代理事長であった筒井銀平は、札幌市体育連盟「年報」の「創刊号」(昭12・8)において当時を回顧し、「本連盟ノ使命」を次のように述べている。
第十二回国際オリンピック大会ガ東京ニ決定シ第五回冬季オリンピック大会亦我ガ札幌ニ招致セラレントシテ、国内挙ゲテオリンピック対策ニ奔走ノ折柄、壮丁ノ体格低下ノ問題ヨリ延ヒテ国民健康問題ガ重要国策トシテ論議セラル、強健ニシテ活力アル国民ヲ錬成シ健全ナル精神ヲ涵養スルハ国力発展ノ根本ヲ啓培スル所以デアリマシテ、殊ニ国民身体危機ナリト称セラレル我国刻下ノ情勢ニ於テ其必要性ヲ深クスルモノガアル、而シテ国民保健問題ノ対策ハ種々アルヘシト云ヘド就中体育運動ノ普及発達ヲ図リ汎ク大衆ヲ獲得シ体育運動ノ実行者ナラシメ絶ヘス正シク精進スル習慣ヲ養フコト以テ其ノ最モ有効適切ナル方策ト信ジマス、此時ニ当リ本道ノ首都トシテ有スル我ガ札幌ノ体育界ハ本道スポーツ界ノ中心勢力トシテ絶大ノ期待ガ其上ニ懸ケラレテ居ルト信ジマス
創設期の加盟団体は、札幌スケート連盟、札幌スキー連盟、札幌陸上競技協会、札幌剣道連盟、札幌柔道連盟、札幌弓道連盟、札幌体育連盟、札幌拳闘会、札幌漕艇協会、札幌卓球連盟、北海道蹴球協会札幌支部、札幌水泳協会、札幌ラグビー蹴球連盟、札幌庭球連盟の一四団体であった。戦前の札幌における大日本体育会管轄下の道内選手権大会は、例外なく札幌市体育連盟のイニシアティヴのもとに展開されたといってもよい。終戦とともに大日本体育会は解散させられ、その影響下にあった市体育連盟も消滅したが、その復活は極めて早く、二十一年五月に再結成のための準備会が発足し、規約、名称等の検討がなされた。七月八日、市役所で結成総会が開催され、名称を元の「札幌市体育連盟」として復活した。規約によれば、本連盟は市内のアマチュアスポーツ団体を統括し、市民スポーツの振興とスポーツ精神を涵養することを目的に掲げている。連盟の活動の重点事項は、次のようなものであった。①市民スポーツの振興に関する方策の調査研究。②加盟団体の強化と相互の連絡融和促進。③スポーツに関する職場団体の連絡指導。④スポーツ競技会、講習会その他スポーツに関する各種事業の実施援助。⑤スポーツ施設の計画と指導。⑥スポーツに関する資材の研究、調査及び需給斡旋。⑦スポーツの宣伝啓蒙及びその指導奨励。
連盟の結成にあたって、札幌スキー連盟、札幌スケート連盟、札幌軟式野球連盟、札幌陸上競技協会、札幌庭球連盟が加盟団体となったが、数年後には蹴球、排球、籠球、水泳、相撲、ラグビー、卓球の各連盟が加盟した。