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第二次『原始林』

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 昭和二十年十月、「橄欖」「香蘭」「自由律」三誌の統合機関「光」札幌支部歌会山下秀之助宅で開かれ会報第一号が発行された。会報が六号まで続いて二十一年五月活版刷りに移行して第二次『原始林』の創刊となった。発行所は北十条東六丁目の田辺杜詩花宅で編集発行人、山下秀之助が撰歌、編集、渉外を担当した。中山周三が編集事務を分担し、「北支」から帰国した相良義重が第三種認可、用紙配給などの雑務を果たした。二十三年六月号で山下は「われらの旗」を載せ、単一の中央結社の支部でないこと、流派的偏見を排し、一人一派たる個性の培いを基本とした多彩な作品傾向の伸長、個人主宰的統制の否定など、社の存在理由を明らかにした。二十六年原始林賞、三十一年田辺賞を設定した。

写真-3 『原始林