『北海道短歌事典』(北海道新聞社、昭和五十五年六月)によると、昭和四十年代には個人編集のかたちで、賀村順治の『野生』(四十二年十一月)、高橋愁の『幻苑』(四十三年六月)、亀村青波の『新短歌時代』(四十四年三月)、横井みつるの『藻岩嶺』(四十四年八月)などが創刊された。『緑礁』(四十七年五月)も高橋愁の個人雑誌である。年二回の発行で一回に三〇枚から五〇枚の評論をまとめ、また、道内外若手の作品を収めた。『彩北』は四十七年十二月の創刊で矢島京子の編集発行。鶯笛真久、芝木朝次、塚本二郎などが参加した。
短歌誌とは別に、戦後の札幌には職場、地域の短歌会が盛んであった。坂田資宏が『札幌の短歌』(さっぽろ文庫9、五十四年六月)でとりあげているうちの主なるものは次のとおり。国鉄苗穂工場苗工短歌会(二十一年、金山昭市)、篠路短歌会(二十二年、宮西頼母)、軽川樹華会(二十三年、鍋山隆明)、琴似せせらぎ会(二十五年、宮崎芳男)、石狩支庁きたこぶし短歌会(同、高畠太郎)、女人短歌北海道支部(二十六年、宮田益子)、札鉄管理局札鉄短歌会(三十一年、布川初朗)、国立札幌療養所短歌会(三十二年、大道寺直勝)。