合唱やハーモニカなど限られたジャンルとはいえ、地元の演奏活動が活発になってくるのと並行して、東京方面からの音楽家の来道も増えていった。招へいの核となったのは札幌芸術鑑賞協会だった。昭和二十五年には札幌芸術協会と改称し、独奏や室内楽から管弦楽、バレエへとジャンルを広げていった。また各地の鑑賞団体と組んで道内巡回公演を手掛けるなど、道内の鑑賞活動のまとめ役を果たしていった。
札幌芸術協会の活動で特筆されるものに、ベートーベン「交響曲第九番〝合唱つき〟」の演奏会がある。二十七年二月七、八日の昼夜二回ずつ、計四回の公演を開いたもので、高田信一指揮する東京フィルハーモニー交響楽団と独唱者の三宅春恵、川崎静子、柴田睦陸、中山悌一が東京から来演し、学生を主体とする三〇〇人の札幌市民合唱団が松竹座いっぱいに歌声を響かせた。
このほか、二十年代に人気を博した公演には、北海道新聞社が開いたシリーズなども含め、巖本真理、辻久子(バイオリン)、藤原義江(テノール)、梶原完、井口基成(ピアノ)、日本交響楽団(二十四年七月)、藤原義江歌劇団、長門美保歌劇団(二十四年九月)、谷桃子バレエ団(二十五年五月)などがある。