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占領下の新聞政策

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 GHQの初期指令のいくつかは、戦前の政府の統制の一掃を目的としていた。昭和二十年(一九四五)九月二十九日に出された「新聞制限法令即時停止指令」もその一つである。
 「降伏後における米国の初期の対日方針声明」(昭20・9・22)において、「日本国民は個人の自由、ならびに基本的人権の尊重、特に信教、集会、言論、出版の自由に対する欲求を増大するよう奨励される」とし、こうした目的や政策と矛盾する法律、命令、規則等は廃止や停止、修正といった措置がとられることとなった。
 七項目にわたる「新聞制限法令即時停止指令」は、ニュースの頒布に関する指令(昭20・9・10付)および新聞界を政府と切り離す指令(同 9・24付)と「相容れない原稿の平時ならびに戦時諸法令の各部分を撤廃する処置を講ずる」とした。これにより、「新聞紙法」、「国家総動員法」、「新聞紙等掲載禁止令」、「新聞事業令」、「言論、出版、集会、結社臨時取締法」等が撤廃された。一県一紙の戦時統制は、ここに崩壊する。
 GHQは同時にプレス・コード(日本の新聞に与える遵則 昭20・9・19)を定め、新聞の事前検閲を開始した。担当したのは民間検閲支隊で、プレス・コード違反を示す処分理由として、約三〇項目にわたる「削除・発表禁止理由の類型」を作成、GHQ批判、日本の軍国主義・国家主義、大東亜共栄圏・封建思想等の宣伝、極東軍事裁判の批判、検閲への言及等が「制限事項」とされた。十月八日に東京の日刊紙から始まった事前検閲は、二十三日には大阪の日刊紙、そして、二十一年五月には札幌の日刊紙へと拡大していった。