戦後、仏教界の役割には戦没者の追悼・慰霊と共に、東西の融和、原水爆反対、世界平和を祈念する平和運動などの推進もあった。札幌では仏舎利を奉安して世界の恒久平和を祈念する大菩薩会が、昭和二十一年五月五日に諸宗合同で結成され、発会式が行われていた。同会の運動は短期で終わったが、次の平和塔の建立に結びつくことになる。
二十九年四月に開催された世界平和日本会議に際して、インドのネール首相から一〇粒の仏舎利が世界平和祈念のために日本へ寄贈された。そのうち一粒が札幌へも分与され、建立予定の平和塔に安置されることになった。仏舎利護持団が来札し、五月二十二日に授与式がなされていたが、これより先、妙法寺派の信徒が中心となって札幌平和塔建設奉賛会が結成され、最初は滝の沢に建設が計画されていた。この仏舎利を安置する仮堂の地鎮祭が、三十一年八月二日に双子山の朝日台(温泉山)で行われ、三十二年に「模型塔」が建設され、三十三年九月四日に建立法要がなされていた。
しかし、平和祈願の聖地としての平和塔の建立地は、その後、藻岩山のロープウエイ山頂に変更となった。塔内には道内関係戦没者の位牌と仏舎利を安置し、塔の外観はパゴダ風であり高さ三三メートル、塔頂には九輪の青銅が付いていた。三十四年八月二十三日に完成して落成式が行われ、その後青銅製の仏像なども安置され、三十六年八月十七日に一三カ国の宗教関係者も参加して落成法要が行われた。塔の前では毎年、平和塔奉賛会によって戦没者慰霊祭が執行され、三十九年には第二回世界宗教者会議に列席した一〇カ国代表も参加している。