戦時下のキリスト教会はアメリカ、イギリスにつながる「敵性宗教」として、官憲による監視の対象となっていた。ポツダム宣言を受諾した日本の敗戦は、キリスト教界にとっても戦時体制からの解放をもたらし、戦時下のさまざまな規制から諸教会が自由となった。
まず教会は、教会の内外に対しことさら両国に敵対して戦意高揚を表明する必要がなくなった。開戦の年にプロテスタント諸教派のほとんどが合同して成立した日本基督教団では、敗戦を「至忠尚ほ欠くる処あり、同胞に奉仕するに怠慢懶惰」であって、「天父と人との前に懺悔せざるを得ず」と表明したが(総懺悔更正運動 日本基督教団史資料集三)、その一方では、満州事変以来のキリスト教への圧迫から「今ヤ自由ニ説教ヲナシ得ルコトニナッタ」と受け止めていた(第十三回教団戦時報国会常務理事会記録 同前)。
ポツダム宣言とこれにもとづくアメリカなど連合国総司令部(GHQ)の対日政策では、日本の軍国主義、超国家主義的思想を排除し、自由主義、民主主義を定着させるために、言論・宗教・思想の自由を確立しなければならないとして、昭和二十年(一九四五)中に、治安維持法・宗教団体法を廃止させ、政教分離を徹底させるため神道指令を発した。これらにより国民は、天皇への拝礼、神社への参拝強要から解放され、結社の自由を得、国と神道との完全な分離、国による宗教への干渉を廃絶させた。
このような占領政策は、キリスト教界にとって説教の自由のみならず、伝道の全面的展開の可能性をもたらした。日本基督教団は、「総懺悔更正運動」をその後は「三百万救霊」(伝道)をめざす「新日本建設キリスト運動」として転化させ、全国的な伝道と教会復興に向かった。