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板垣市長の誕生

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 新しく市長に就任した板垣武四は、大正五年(一九一六)北海道和寒村に生まれた。小学校五年生の時に札幌に移り、山鼻小学校、札幌第一中学校、北海道大学予科(中退)を経て、第一高等学校から東京帝国大学法学部へと進学した。昭和十六年(一九四一)三月同学部政治学科卒業後、三菱電機神戸製作所に勤務し、二十一年四月札幌市に秘書課長として就職した。敗戦後、札幌市の上原六郎市長と原田與作助役は、大卒の有能な幹部職員の採用に乗り出し、札幌第一中学校時代の板垣の同窓であった小塩進作とともに、板垣を採用したのであった(思い出すまま)。

写真-1 板垣武四市長

 ちなみに、小塩は大正四年北海道月形町に生まれた。その後札幌に移り、札幌第一中学校、北海道大学農学部を経て農林省に勤めたが、札幌市役所に転職した。その際、他に優れた人材を誘うことを依頼され、札幌第一中学校の同窓であり、親友の間柄であった板垣を誘ったのであった(タイムス企画 札幌市長板垣武四市政四五年の軌跡)。小塩は産業課長として着任し、三十四年に第二助役、四十六年には第一助役に就任した。
 板垣は札幌市役所就職後、総務課長、経済部長、総務部長を歴任し、昭和三十一年(一九五六)に高田市長のもと、四〇歳の若さで第二助役に就任、原田市長が誕生した三十四年に第一助役に就任した。原田市長が三期で引退した後を承けて、四十六年五月に市長に就任した。市長就任当時、五五歳であった。板垣は、市長を五期連続で二〇年間務め、平成三年(一九九一)五月に市長を退任する(札幌市長板垣武四市政四五年の軌跡)。市長退任後は、財団法人札幌芸術の森理事長や財団法人札幌国際プラザ理事長などを務め、平成五年八月十二日に逝去した(故板垣武四さんを偲ぶ)。