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タコ足庁舎の解消を目指して

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 札幌市の庁舎は昭和十二年(一九三七)、北一条西四丁目に新築された地下一階地上四階の鉄筋コンクリート造り、延べ面積約七七八二平方メートルの建物であった(十一期小史)。戦後の市の事務量の急増によって、市の職員数は十二年当時で五四一名であったものが(市史第八巻Ⅰ統計編)、三十五年(一九六〇)四月時点で二〇四八名(教育委員会・市立札幌病院・交通局・水道局を除く)に増加した(昭35事務)。三十八年の調査では、本庁舎内に収容されるべき職員数は二〇七九名であるが、そのうちの六〇パーセント、一二二九名が市内一〇カ所のビル等に収容され、「タコ足庁舎」と呼ばれていた(十一期小史)。
 三十八年七月市議会第二回定例会で原田市長は、①四十三年二月の招致を検討している冬季オリンピックの前に庁舎を新築移転する、②移転場所は市議会特別庁舎委員会で結論を出してもらいたい、③市人口一〇〇万人あるいは一二〇万人時の職員数を想定して床面積は一万坪とする、などと答弁した。市議会は七月九日に「新庁舎建設調査特別委員会」を設置した。
 市理事者は、特別委員会に対して現庁舎跡地を含む七カ所を新庁舎建設候補地として提示した。特別委員会は公聴会、陳情者との懇談会、全国主要一一市へ庁舎視察調査を実施し、候補地を北一条西二丁目(中央創成小学校・産業会館所在地)と大通西一一丁目(大通小学校所在地)の二カ所に絞り込み、十二月二十一日に投票を行った。前者は賛成八、反対五、白票四、後者は賛成五、反対八、白票四となり、いずれも過半数に達せず、特別委員会は解散した。市議会は新庁舎建設地を決定できなかったのである(以上、十一期小史)。